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【F取りとF活動】F(フレンド)1の壁

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F取りとF活動から逃げたい

座談会に行くと、婦人部F30だ、F50だ、F100だ、と圧倒されて帰りたくなりませんか?

Fがなく、そもそも座談会に参加すること自体、命が引いているところを踏ん張りをきかせて出席したのに、青年部だからと指揮やら活動報告やらを求められます。

活動報告なんかねぇよっ!!

逃げたいところを必死でくらいついてんだよっ!!

 

自分が嫌で消えてしまいたくなる瞬間。

いい年こいて、アルバイトで、まともに生活もできず、金もないのにくだらないことに使って……。

 

境涯の低い人間だけに囲まれて生きていきたいのか

それでもくらいついていくしか、境涯を変えるすべはありません。

結局、他人からはのがれても、自分自身から逃げることはできません。

過去を悔やんでも、過去も現実も変わることはありません。

常に、昨日の自分との一対一の勝負しかないのです。勝って成長し続けなければ、いつまでたっても愚痴文句のくだらない境涯のままです。

 

他人はそれほどバカではありません。

あらゆるはバレています。そのときには心から決意して頑張ると言って、その後臆病になっては『無理やりやらされた』『断れない雰囲気だった』と組織や他人のせいにします。

 

本質は、はっきりものが言えない心の弱さです。

その弱さを抱えたまま、組織を離れたところで、どこへ行っても、嘘に嘘をかさねるだけです。

 

相手の境涯が高ければ、あらゆる自己弁護と嘘は見抜かれます。

低次元の人間なら口だけでダマせます。しかしあなたは低次元の人間だけと関わって生きていきたいのでしょうか?

境涯の低さは、自身も周囲も虚しいだけなのではないでしょうか?。自分の心すらコントロールできないコミュニティや、周囲の人をただひたすらにバカにしてあざ笑いあうコミュニティ。

私はこのような向上心のカケラもない境涯の低いコミュニティだけにしか存在できない自分にはなりたくありません。

 

責任転嫁か自己責任か

私は10代後半に創価班大学校に入校しました。大学校時代に折伏をし、多くの友人を失いました。

明確に内部になったか、縁が切れたかで決着しました。中途半端な立ち位置(内部にはならなかったが、連絡だけは取れる)にいた友人は、私の粘り強さがなくこちら側から連絡を取らなくなってしまったことや、携帯の故障で電話帳を失う環境的な理由もあって、今では音信不通です。

つまり、外部の友人はほぼ、いなくなりました。

 

これを他人のせいととるか、自分のせいととるか?

 

愚痴文句の境涯の人は、学会のせいで、幹部のせいで、と自分は一切悪くないようないいぶりをします。

学会二世三世なら、親が介入して子どもの友人の親をF周り折伏をすることもあるでしょう。

そしてそれがきっかけとなり、親同士の縁が切れて、子どもとその友人の縁も連動して切れるそんなこともあるでしょう。

そしてこれもまた、親のせいにします。

そもそもの自分自身の人間的魅力というものを棚上げにして。

 

『創価学会が嫌で離れる友人は本当の友人ではない』

これは創価学会だけではなく、あらゆる親友の定義です。

親友とは、たとえ、牢獄に繋がれても差し入れを持っていく仲のことを言います。

友人は自分のアクセサリーではありません。何があっても友人でありつづけるのが親友です。

あなたには、自分が牢獄に入っても差し入れを持ってきてくれる人が何人いますか?

 

友人やFの数や質は境涯に比例する

結局、友人が離れていくのは、自分自身の魅力がないからです。

牢獄にいても離れない友人なら、創価学会の自分でも離れない友人のはずです。

相手はこちらの人間性魅力に思って友人でありたいと思ってくれるわけですから。

 

この自分自身の魅力のなさ棚に上げて、やれ学会のせい、やれ幹部のせい、やれ親のせい、と自分自身に目を向けさせない(自分自身と向き合わない)トーク展開をする人々。

勿論だれかのせいという側面があるのも事実です。ただ、そうやって自分に目を向かせず全て責任転嫁する根っこの弱さ……、

全てバレています。

 

つまりFの数とは、自身の魅力であり、境涯の広さであり、境涯の『強さ』なのです。

 

だからといってFは自分を飾るアクセサリーでもない

Fの数とは、自身の魅力であり、境涯の広さであり、境涯の『強さ』なのです。とは言っても、ここで勘違いしてほしくないことがあります。

Fはあなたのプライドを守るためのものでもありません。

F200を掲げて、よくわからない商店で、個人的な繋がりもなくFを頼む活動報告がありますよね?

あなたが逆の立場で、それで公明党に入れますか?

初対面で、営業中で、他のお客さんもいて。レジで文句つけて後ろにお客さんの滞留たいりゅうつくっちゃうクレームおじさんくらい迷惑です。

頼み方姿勢(心から訴え真剣に依頼する)にもよりますが、基本的には普段関わりのない人に頼むのは、非常識なのではないでしょうか?

 

真剣でもないくせに(軽いノリ来ておきながら)KYな(相手のことを一切考えない)選挙依頼。

学会のイメージが悪くなる原因です。ネットも含めた口コミの時代です。一番大切なのは、相手を思いやる心なのではないでしょうか?

相手が公明党に入れて福運を積んで幸福になること重要なのであって、相手に迷惑をこうむり、心を害し、結果学会のイメージを悪くする為にF活動をしているのではありません。

 

弱気になれと言っているわけでもなく、過剰な勇気でハイになれと言っているわけでもありません。バランスが大事です

Fはその小さなプライドを守るものではなく(価値のない膨大な数の積み上げ)、あくまで魅力と境涯(日頃からの人間関係)を自分自身で見つめなおす為のもの

膨大な数を積み上げる人を軽薄と言うのでもなく、まったく数がない人に対して勇気がないと言うものでもありません。

それぞれの性質があり、それぞれのバランスをもって、自分自身の人間革命に挑戦しています。

だからこそ、数の勝負ではないし、今はゼロでもしょうがないし、そこで腐るわけにはいきません

 

逃げたい現実の自分を受け入れて

日頃から地域で交流できる境涯でもなく、魅力もない自分であることをまずは認めることから、受け入れることから始めなければ、前には進めません。

私は、市内に外部の友人はいません。未婚子なし30代のパラサイト故、地域の接点もありません。というより、近所の人に声を出して挨拶もできず、会釈程度で生きています。

Fは、ゼロです

 

ひとりだけ思い浮かぶのは、会社に同市内の人がいます。

しかしその人は関わりたくない人(自分の仕事しかせず、横着で怠け者)なのです。挨拶以外なるべく会話しないようにしている自分がいます

 

よりにもよってその人が、唯一の同市内。そもそも個人対個人の関係性ができあがってはいないので、十中八九入れてはくれないでしょう。

境涯の殻を破るチャンスですが、勇気が出ません。

とりあえず祈ってみます。

 

いづれにせよ、もう一度信心を最初から、一からスタートして、Fゼロからスタートして、もがきたいと思います。

年齢は関係ありません。遅くなんかありません。いつだって戦うべきは、昨日の自分なのですから。