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【障害者雇用/使えない/辛い/壁/企業】『不平等な仕事』縛られる人生だから主人公になれる?

障害を抱える当事者の方、不公平な仕事に不満を持つ方、生産性というテーマに興味のある管理者側の方、本記事では人間関係の面白さ、大切さ、可能性を解説します。

障害者雇用の壁

まずはこちらの参考記事をご覧ください。

あなたはこの記事を読み、どう感じますか?

 

自己責任論でいうならば、仕事はいくらでも自分で作れる(誰かのルーティンを手伝うでも何でも)とか、自分がどう見られるかでなく自分がどう他者の役にたてるか(マインド、姿勢)とか、価値を提供する為に雇われているのだから提供できる何かを模索したり相談したりすべき、とかいくらでも言えますし、

社会責任論(政府、企業)でいうならば、障がい者雇用監視員を厚労省で作って企業を巡回させて、当事者の相談窓口になるとか、雇ったからには企業が責任を持って管轄の部署、上司から積極的に仕事のすり合わせ、提案をするとか、こちらもいくらでも社会責任に転嫁だってできますよね。

 

さらにこの例ではどう感じるでしょうか?

  • できる仕事を選んでる、と陰口を叩かれる
  • させられる仕事がないから、といじめられて
  • 私を異動させようと上司に訴えた人は、田舎の事業所に飛ばされた
  • 契約社員昇格はまわりのみんなが許さない感じ

 

これだって本質は同じで、当事者にできる自己責任論も多々あれば、会社側が悪い社会責任論も多々あります。

ただ、一個人として思うことは、不公平、不平等、と文句を垂れる境涯の低い社員が大勢いる会社だな、とは感じます。

 

エバーライフの例

福岡に本社を持つ(株)エバーライフが本社事務で脊髄性筋萎縮症(SMA)の障害を持つ方を採用しました。

障害者枠の採用条件にも様々な詳細があります。食事での自立。お手洗いでの自立。通勤の自立。

障害者採用といっても、これらができるのが条件での採用が多数派です。

そんな中でエバーライフはこれらが自立できずヘルパーの介入が必要なSMA疾患を抱える方を採用しています。

理由は端的に人柄です。文面だけでは伝わりづらいですが、夕方のニュースの特集で取り上げられていた際の言葉や振る舞いを見る限り、私の主観ではありますが、相当にポジティブで根っこの性格の良さが伝わってきました。

 

生産性や能力で人間の価値が問われる傾向性

生産性、生産性と世の中で言われるようになってきた昨今、如何に効率的な作業ができるかが、職場においての価値の大半を占めるような傾向性がありませんでしょうか?

実際に100人の人間で作業をするならば、入社1年目でレベル80の天才もいれば、入社8年でレベル15の能力しかない人もいます。レベル65もいれば、レベル33もいて、レベル7の人だっている。

そもそもが、前提として不公平であり不平等なのが社会の実相であり真実です。

同じ時間を働けば職能が高い人間が多くをこなし、精度も高く、そして同じ時間で仕上げられない人だって必ずいます。

あからさまに仕事を選んでいる人や、サボっている人は論外として、それら悪意のある人間を除くと皆それぞれで自分のできることをして、ひとつの大きな事業を成り立たせているわけです。

 

人間の身体も免疫システムにおいては、マクロファージが外敵(細菌、ウイルス)をまるごと飲み込みその残骸ざんがいを元に、ヘルパーT細胞が分析をして武器を生成し、その武器を使いB細胞が外敵を残らず殲滅せんめつする。それぞれがそれぞれの役割を全うして、人体は守られているし、維持されています。

多様性を認めて、ルーティンワークしかできない人を排除せずに仕事をゆず、高度な指令やマネジメントができる能力のある人が、その能力を発揮しないと、全体がフル活用されません。

だからこそ、それぞれにそれぞれ特有の価値が本当はあるのです。

 

真の生産性とは

一見個人の技能、能力だけで見れば全く無価値に見える人間でも、視野を広げ全体を分業しチームワークを調和できたときに、真の生産性が発揮されるのではないでしょうか?

先のSMA疾患の採用例も、障がい者枠の採用ではなく、一般枠での採用なのです。

当然、給料も一般枠です。

できる仕事は限られます。パソコンを使った業務がメインです。しかもキーパンチャーのようにバチバチ打ち込みができるわけでは当然ありません。

ここに真の生産性のヒントがあるのではないでしょうか?

 

人の介助を受けないと生活ができない人を抱えながら業務をするのか?

人の介助を受けないと生活ができない人を支えながら業務をするのか?

これを成り立たせるには、周囲の人間の境涯が不可欠なのです。

 

あいつはこれしか生産性がないのにおれと給料が同じだ。とか、

あいつはできることしかしてないのに幅広はばひろ多岐たきに渡って新しいことを覚えてさばいているおれよりも大事にされている。とか、

こんな低い境涯の人間が蔓延まんえんしている職場では、成り立ちません

 

だからこそ、常に前向きで、ポジティブで、根っこが善良な人間性を高く評価して人格にこだわり採用したのでしょう。

 

障害者枠の採用か、一般枠の採用かは、本質的には問題ではありません。

結局は周囲の人間の境涯、これ一点にかかっているのです。

真の生産性とは、互いを認め合い、サポートし合う境涯と人間性から創り出されるチームワークをいうのではないでしょうか?

 

高い人間性が豊かな人間関係を育む

人にサポートしてもらうことに素直に感謝する。そもそも一人では生きられないことを深く理解している。仕事をさせてもらっていることにも、周囲のあらゆる事柄にもきちんと感謝している。そういった『人格』が、周囲との調和を生み、周りも生産性云々、効率云々ではなく職場の全体観をもった人間性がそれぞれに育っていくのではないでしょうか?

 

採用されない多くの障害者は社会に参加して人と関わりを持ちたいと感じています。

そして一般の多くの社会人は人間関係に辟易へきえきとして、人との関わりを断ちたいと考えています。

障害を持てば持つほど、人間関係の魅力、人間の温かさを知っていて、

逆に力があり何でも自立してしまう人ほど、人間関係のきたなさ、人間の冷たさに嫌気を感じているのかもしれません。

 

所謂いわゆるトップブロガーと呼ばれる人種の人たちから、一種冷たさを感じてしまう理由は、社会や人間関係というしがらみを苦しみと捉え、脱社畜だつしゃちく、脱社畜と声高こわだかに叫んでいる姿勢から伝わるネガティブそのものなのではないでしょうか?

 

社会との関わり、人間関係があるからこそ、主人公になれる

縛りがあり、不自由であり、責任があるからこそ、主人公になれる、そう信じています。

 

みなさんはプロ野球1994年10.8決戦をご存知でしょうか?リーグ優勝をかけた中日×巨人の試合です。

参考 松井秀喜が落合には絶対勝てないと思った瞬間!You Tube

三冠王、落合博満氏。

球団という縛り、怪我で体は不自由、そして重責の四番。

これらを抱えた環境と背景だからこそ、主人公に。ヒーローになれたのではないでしょうか?

 

何にも縛られないのではあれば、コミュニティに属していませんし、つまりプロ野球はやっておらず

責任も背負わずに放棄ほうきすれば、あの試合には出場していませんし(シーズン半ばで肋骨を痛めていた落合氏)、

同様3回裏の怪我の場面でも、戻ることはなくそのまま治療退場していたことでしょう。

自由の利かない負傷した体を無理やり引きずって責任を果たそうとしている姿に、感動がある(主人公がある)のです

 

自由と余裕とか、無理しないとか、しがらみがないとか、責任がないとか、こんな人生では

物語の主人公にはなれないのではないでしょうか?

 

社会や人間関係から断絶した人間の行きつく先は文句をたれるだけの“その他A”

結局のところ、縛りがあり、不自由であり、責任があり、しがらみがあるからこそ、そこに挑戦していくドラマがあり、自分自身の人生の主人公になれるのだと、私は信じています

逆に、それら全てを捨て去った、最近でいうところのサトリ世代などの人間からは、熱も、感動も、伝わってはこず、ただただ合理的な金と冷たい人間性だけが漂っているように感じます。それら冷めた人間の行きつく先は、結局は主人公にはなれず、“その他A”の人生が待っているだけなのではないでしょうか?

 

まとめ

  • それぞれにそれぞれ特有の価値が本来はある
  • 真の生産性は互いを認め合いサポートし合う境涯から生み出される
  • 縛りがあり不自由であり責任がありしがらみがあるからこそドラマがあり主人公になれる

人間性を磨き、境涯を開き、しがらみの中で大いにドラマの主人公を演じきってみたい、だからこそ、一匹狼いっぴきおおかみにはならずに責任や不条理、不公平からも逃げないで背負っていくことが人生を飾っていくことであると、わたしは信じています。