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【鳩摩羅什/法華経/舌】方便品寿量品解説②

前回教学を学ぶ上での基本として、法華経の概要、また成仏の根源である南無妙法蓮華経を知り、そこからたちかえって法華経を読経することに意味がある旨のお話しをしました。

【前回の記事はコチラ】
方便品寿量品解説①

今回はその妙法蓮華経を訳した張本人である鳩摩羅什くまらじゅうについてお話ししていきます。

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三蔵法師とは?法華経(妙法蓮華経)の翻訳者・鳩摩羅什

妙法蓮華経序品第一じょぼんだいいちを開くと題号のすぐそばに「姚秦ようしん三蔵法師さんぞうほうし鳩摩羅什みことのりして訳す」と記載があります。

これは『後秦こうしん姚興ようこう皇帝の時代の三蔵法師である鳩摩羅什という人が、天子(君主)の詔(命令)を奉じて(信じ従って)翻訳した』

という意味です。

三蔵法師の“三蔵”とは、釈尊の一代聖教をきょうりつろんの三蔵に分けて述べたものです。

とは仏の教えを指し、その経に通じた人を経師とは戒律を指し、その戒律に通じた人を律師とは経と律とを解釈したものを指し、その論に通じた人を論師と呼びます。

経・律・論の三蔵に通じた人を三蔵法師といい、略して三蔵と呼びます。

三蔵にはほかに、最も有名な唐代の三蔵法師、玄奘三蔵げんじょうさんぞうがいたりします。

 

鳩摩羅什の人物像・中国への広宣流布

鳩摩羅什の父は、鳩摩羅炎くまらえんというインドの名門の人で、亀茲きじという国へ行き、ここで国王の妹の耆婆ぎばと結婚しており、この父母から鳩摩羅什が誕生しました。

羅什は七歳で母とともに出家しましたが、幼いころから大変な秀才であったといわれています。

羅什は大乗仏教を、須利耶蘇摩しゅりやそまという師から学びます。羅什の類い稀たぐいまれな才能を認めた須利耶蘇摩は、とくに法華経を授与して、東の国に弘めるように命じました。

この東への仏法流布に関して、羅什の弟子である僧肇そうじょう「法華翻訳後記」に記された内容が御書にこうあります。

 

僧肇そうじょう公の翻経の記にいわく「大師須梨耶蘇摩しゅりやそま左の手に法華経し右の手に鳩摩羅什の頂をで授与して云く仏日西に入つて遺耀将いようまさに東に及ばんとす

此の経典東北に縁有りつつしんで伝弘でんぐせよ」

 

曾谷入道殿許御書 御書1,037P

日蓮大聖人御書全集全文検索,SOKAnet,https://www.sokanet.jp/kaiin/gosho_search/page.php?n=1037&x=45&y=1/,(引用 2019-2-2)

羅什は師にいわれた通り、後に東北の国にあたる中国に渡り、漢訳・妙法蓮華経を完成しています。

 

戦乱の中国・苻秦から姚秦へ

当時の中国は、東晋の時代でありましたが、間もなく有名な五胡十六国の争乱に入ります。

苻洪ふこうが創始したは、第三代の苻堅ふけんの時になって強大になり、羅什が住んでいた西域地方にまで力をのばしてきます。

苻堅は、将軍の呂光ろこうに命じて、名声高き羅什を都の長安ちょうあんへ招待し、招きに応じた羅什が長安に来る途中のこと、部下の将、姚萇ようちょうによって苻堅は殺されてしまいます。

このため、苻秦が亡び、姚秦と変わります。

そのようななれそめもあり、羅什が都の長安に入ったのは、六十二歳の時、姚秦の弘始三年のことであったといわれています。

 

鳩摩羅什出世の本懐・一代翻訳期

羅什はここで国師としての待遇をうけ、七十歳をもって死去するまで、大般若経だいはんにゃきょう仁王経にんのうきょう維摩経ゆいまきょう阿弥陀経あみだきょう大集経だいじっきょう梵網経ぼんもうきょう大智度論だいちどろん十住毘婆沙論じゅうじゅうびばしゃろん中論ちゅうろん、など、合わせて三百八十余巻ほどの経や論を翻訳しました

訳していった中でも法華経に関しては、最も一念億劫おくごう辛労しんろうを尽し、国王・姚興の見守るなか、五百人の訳経僧やっきょうそう( 経典の翻訳に従事する僧侶)を指揮して翻訳したといわれています。

法華経の原典は勿論、須利耶蘇摩から授与された梵語ぼんごの法華経です。

 

羅什の舌焼けず

この法華経の訳がいかに名訳だったのか?エピソードがあります。

国王の姚興は、羅什の博学と見識に心底尊敬しており、その後継者がいなくては残念であると、羅什に在家を強要させたので、羅什は妻を帯しており、清浄な生活をしていませんでした。

そのような経緯があり、亡くなる直前、弟子たちに遺言します。

「自分は戒律を破り、妻子を持ち、俗人のけがれた生活をしたが、口に述べたことは少しも仏意に背くことはなかった。自分の死後、火葬の際、不浄な身体は焼けてしまうだろうが、清浄な舌のみは焼けずに残るであろう」と。

そして、実際に、そのとおりになったという逸話です。

この逸話を日蓮大聖人「撰時抄」のなかで、つぎのように記しています。

総じて月支がっしより漢土に経論をわたす人・旧訳・新訳に一百八十六人なり

羅什三蔵一人を除いてはいづれの人人もあやまらざるはなし、の中に不空三蔵はことに誤多き上誑惑の心顕なり、疑つて云く何をもつて知るぞや羅什三蔵より外の人人はあやまりなりとは汝が禅宗・念仏・真言等の七宗を破るのみならず漢土・日本にわたる一切の訳者を用いざるかいかん、

答えて云く此の事は余が第一の秘事なり委細には向つて問うべし、ただしすこし申すべし羅什三蔵の云く我漢土の一切経を見るに皆梵語のごとくならずいかでか此の事を顕すべき、但し一の大願あり

身を不浄になして妻をたいすべしばかり清浄になして仏法に妄語もうごせじ

我死なば必やくべし焼かん時舌焼けるならば我が経をすてよと常に高座にしてとかせ給しなり、上一人より下万民にいたるまで願じて云く願くは羅什三蔵より後に死せんと、

ついに死し給う後焼きたてまつりしかば不浄の身は皆灰となりぬ御舌計り火中に青蓮華生しょうれんげおいの上にあり五色の光明を放ちて夜は昼のごとく昼は日輪の御光みひかりをうばい給いき、さてこそ一切の訳人の経経は軽くなりて羅什三蔵の訳し給える経経・殊に法華経は漢土にやすやすとひろまり給いしか。

撰時抄 御書268P

日蓮大聖人御書全集全文検索,SOKAnet,https://www.sokanet.jp/kaiin/gosho_search/page.php?n=269/,(引用 2019-2-2)

羅什訳の法華経がいかに名訳であったか……使命感と確信があったからこそ、断言できた遺言なのでしょう。

そうして、鳩摩羅什は法華経を漢訳して「妙法蓮華経」八巻二十八品としました。

この妙法蓮華経八巻二十八品に、開経である無量義経むりょうぎきょう曇摩伽陀耶舎三蔵どんまかだやしゃさんぞう訳 】一巻と、結経である観普賢菩薩行法経かんふげんぼさつぎょうぼうぎょう曇摩蜜多三蔵どんまみったさんぞう 訳】一巻とを合わせると法華経十巻となり、法華三部経と呼ばれています。

妙法蓮華経とは法華経であり、法華経の思想、法華経の智慧、法華経の真実は、全て妙法蓮華経に収まっています。これに南無(信じ奉り)していくことで、少しづつ薄皮を剥がすように御本仏の大境涯に近づいていくのです。

羅什はただ頭が良かったのではなく、正しく仏法を理解し、振る舞っていた。だからこそ正しい訳、名訳が書けたのでしょう。

 

次回は法華経の前後に説かれた無量義経むりょうぎきょう普賢経ふげんきょうを確認しながら、外用げゆう内証ないしょうという立場の違いによって大聖人がどう見えるのかという関係性について簡単に触れていきたいと思います。

 

方便品寿量品解説 つづきはこちら

【無量義経/偽経説/外用/意味】方便品寿量品解説③

 

方便品寿量品解説 前の記事はこちら

【法華経方便品寿量品の解説】方便品寿量品解説①