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方便品寿量品解説③【準備編】

前回は妙法蓮華経(法華経)をサンスクリット語(梵語)から漢語に翻訳した鳩摩羅什三蔵法師について周辺知識を確認しました。

今回は妙法蓮華経(法華経)前後に説かれた無量義経むりょうぎきょう普賢経ふげんきょう、そして妙法蓮華経の読み方として“時期” “立場”の違いなどに触れて本編に入る前に重要な基礎知識を確認していきます。

立場の違いで読む妙法蓮華経【外用

外用げゆうの立場とは、妙法蓮華経の教えが、釈尊⇒天台大師⇒伝教大師でんぎょうだいし⇒日蓮大聖人と歴史の流れをたどり伝えられたとされる立場のことです。

それぞれの役割を果たすために仮の姿、方便としての流れをたどったということです。

御書には

安州の日蓮は恐くは三師に相承し法華宗を助けて末法に流通す三に一を加えて三国四師なづ

顕仏未来記 御書 509P

日蓮大聖人御書全集全文検索,SOKAnet,https://www.sokanet.jp/kaiin/gosho_search/page.php?n=509&x=83&y=25/,(引用 2019-2-2)

 

予が外用の師・伝教大師

本因妙抄 御書 870P

日蓮大聖人御書全集全文検索,SOKAnet,https://www.sokanet.jp/kaiin/gosho_search/page.php?n=870&x=62&y=23/,(引用 2019-2-2)

と大聖人自らで三国三師(インドの釈尊、中国の天台大師、日本の伝教大師)から三国四師の妙法蓮華経の継承の旨と、伝教大師が外用の師である旨が述べられています。

末法の本仏は日蓮大聖人です。

にもかかわらず、歴史的な流れという外用の立場(仮の姿)が理由で、日蓮大聖人が本仏であることを理解しづらく、また釈尊が本仏であるような疑いが生じやすくなります。

釈尊も天台大師も日蓮大聖人もいづれもその時代の智慧を究め悟った本仏なのです。

妙法蓮華経を読むにあたって、釈尊を本仏として読んでしまうと釈尊から舎利弗らへの言葉となり、つまりその読み方は外用の立場ということになってしまい、末法では相応しくない読み方となってしまうのです。

 

立場の違いで読む妙法蓮華経【内証

内証の立場とは、日蓮大聖人が末法の御本仏であることを悟った立場のことをいいます。

ここはとても重要です。方便品寿量品を読むにあたって、少しでも釈尊を本尊として読んでしまうと、末法においては功徳をあらわしていくことが困難となってしまうからです。

では、末法とは何か?なぜ日蓮大聖人が末法の本仏なのか?について確認していきましょう。

釈尊滅後、仏法がどのように受容されていくか?その様子についての時代区分を大きく3つに分け、正法しょうほう像法ぞうほう末法まっぽう、の三時さんじと呼びます。

正法時代は釈尊滅後千年間を指し、釈尊に縁の深い衆生が非常に多い時代、像法時代はその後の千年間を指し、釈尊に縁はあるものの、その縁が微弱な衆生が多くを占める時代、末法時代はさらにその千年後、つまり釈尊滅後二千年以降を指し、生まれる衆生は釈尊に皆、縁がまったくなく、釈尊の説いた仏法では救済不可の時代です。

この末法時代に日蓮大聖人が現れるのですが、なぜ本仏なのか?

それは久遠元初の自受用報身如来(仏界の大生命力と永遠の生命を自覚しきった功徳をほしいがままにした仏)の姿を示したからです。

また、境涯でみても、一閻浮提総与曼荼羅御本尊まんだらごほんぞんを御図顕ずけんされるなど、そのスケールの広さは疑う余地のないほどに圧倒的な大境涯です。

正法、像法、末法の三時でそれぞれ妙法蓮華経(成仏の為の法)が何なのかと言えば、正法時代は釈尊出世の本懐である妙法蓮華経二十八品、像法時代は天台大師の説いた摩訶止観まかしかん、末法時代は末法の御本仏日蓮大聖人の説いた七文字の法華経『南無妙法蓮華経』であり、このように妙法蓮華経(成仏の為の法)は時代継承されてきたのです。

内証の立場というのは、天台大師、伝教大師らが、仏典に記された “とき” がいまだ至らないことから、心に悟りながらも表すことのなかった真の正法、末法の時機に叶った正法を、流布する本仏が、日蓮大聖人であるとする立場をいうのです。

妙法蓮華経を読むにあたって日蓮大聖人を本仏(内証の立場)として読むと、釈尊から舎利弗らへの言葉は、つまり大聖人から末法の衆生まっぽうのしゅじょうの言葉となります。

方便品寿量品を読むにあたっても、内証の立場で、私たちは末法の衆生として、読んでいく姿勢がとても重要になってくるのです。

法華三部経の開経、無量義経

法華三部経十巻のうちの最初の一巻、無量義経むりょうぎきょう

無量義経ではまず「無量義とは一法より生ず」と始まります。

これまで無量の義(教え、知恵など)を展開してきましたが、それらはことごとく一法より生ずるのである旨を宣言するのです。

続けて「四十いまだ真実をあらわさず」と、爾前経においていまだにその真実の一法を明かしていないと述べていくのです。

しかし、無量義経でも全ての根源の一法の存在を明かしはしても、具体的にその一法が何か?ということに関しては、触れていません。

この一法については妙法蓮華経の序品第一より説かれていくのですが、つまり無量義経の役割は、概して無量の義の根源の法が妙法蓮華経にあることを示す為の道しるべだったのです。

また、無量義経には偽経説などもあります。そもそも釈尊の説いたものではなく、つまりサンスクリット語の原典はない。中国の曇摩伽陀耶舎どんまかだやしゃが書いたという学説です。

末法の時代がすすめば、新たな新学説(原典の存在そのものを問うことや、訳が実は大きな誤りであること)なども存分に現れてくることを先見した大聖人は御書に

日蓮仏法をこころみるに道理と証文とにはすぎず、又道理証文よりも現証にはすぎず

三三蔵祈雨事 御書 1,468P

日蓮大聖人御書全集全文検索,SOKAnet,https://www.sokanet.jp/kaiin/gosho_search/page.php?n=1468,(引用 2019-2-14)

と仰せです。

加えて外用と内証の立場で見れば、証文といっても我々にとっては大聖人の御書になることから(本仏が日蓮大聖人なので)、無量義経が偽経かどうかということは問題にはなりません。

結局のところは『信心』というだけあって、信じるか信じないかとなってきます。

ここが核心です。

当然ですよね?一切経や御書など全て暗記しても、根底として信じていなければ、信心とはならないからです。

教学部長や最高幹部、公明党委員長などが退転するのも、結局のところは何も信じてはいなかった。ということなのです。

あくまで我々は無量義経があったことを信じきった前提で読み進めていきます。

そして、大聖人が仰せの通り、最後には現証をみるのです。

理論が正しかろうと間違っていようと、科学が判明していようといまいと、結局のところ現実にどうなるか?が最も重要なのは、小学生の頃の私でも理解できました。

さて、無量義経というのは、無量の義の根源の法が妙法蓮華経にあることを示す為の道しるべだった、と説明しました。

妙法蓮華経は、生命そのものを焦点とし、生命をとりまく法の本質を明かしています。

生命をとりまくあらゆる法の本質を明かしているから、無量義の根源となりうる法である、と言われているのです。

法華三部経の結経、観普賢菩薩行法経

法華三部経十巻のうちの最初の一巻、無量義経が説かれ、続けて妙法蓮華経八巻が説かれた後、結経として観普賢菩薩行法経(普賢経ふげんきょう)一巻が説かれます。

この普賢ふげんとは「あまねかしこい」という意味です。あまねくいっさいに知恵がある、ということです。

つまり普遍性をあらわしており、無量義から、妙法蓮華経で説かれた根源の一法へ帰納きのうし、そしてまた一法から、普遍的に無数の智慧へと展開されていく、ということを言っているのが、普賢経です。

御書にも

御義口伝に云く此の法華経は十界互具・三千具足の法体なれば三千十界悉く普賢なり、法界一法として漏るる義之れ無し故に普賢なり、妙法の十界蓮華の十界なれば依正の二法悉く法華経なりと結し納めたる経なれば此の普賢経を結経とは云うなり

 

御義口伝巻下 御書 785P

日蓮大聖人御書全集全文検索,SOKAnet,https://www.sokanet.jp/kaiin/gosho_search/page.php?n=785&x=20&y=15/,(引用 2019-2-2)

とあり、全てが妙法蓮華経に漏れることなく帰納し、そこから普く全てに通じていく普賢経だから結経なのであると述べられています。

妙法蓮華経が生命成仏の根源の一法であるが故に諸経の王であること、内証の立場で釈尊からでなく日蓮大聖人からの言葉として読んでいくこと、これらが方便品寿量品を読んでいく上でとても重要になっていきますので、本編の解説を読み進めていく中でも随所随所で思い出しつつ、さらに学んでいきましょう。

 

次回は方便品の題号をなぜ “方便” と名付けたのか?その仏の真意に迫っていきたいと思います。

 

方便品寿量品解説 つづきはこちら
方便品寿量品解説④【準備編】

方便品寿量品解説 前の記事はこちら
方便品寿量品解説②【準備編】



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外用(げゆう)

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外用の意味、以下引用。

外に現れた働き。人々を教え導くために方便として示す姿や働きの側面。

教学用語検索,SOKAnet,https://k-dic.sokanet.jp/外用(げゆう)/,(引用 2019-2-14)

 

 

 

 

 

 

末法(まっぽう)

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末法の意味、以下引用。

仏の滅後、その教えの功力が消滅する時期をいう。

基(慈恩)の『大乗法苑義林章』では、仏の教え(教)だけが存在して、それを学び修行すること(行)や覚りを得ること(証)がない時期とされる。
日蓮大聖人の時代には、釈尊滅後正法1000年、像法1000年を過ぎて末法に入るという説が用いられていた。

したがって、『周書異記』にあるように釈尊の入滅を、周の穆王ぼくおう52年(紀元前949年)として正像2000年説を用いると、永承7年(1052年)が末法の到来となる(ただし釈尊の入滅の年代については諸説がある)。

それによると大聖人の出世は釈尊滅後およそ2200年にあたるから、末法の始めの500年中に御出現なさったこととなる。
末法の年代について『中観論疏』などには釈尊滅後2000年以後1万年としている。

大聖人は、末法万年の外・尽未来際とされている。弘長2年(1262年)御述作の「教機時国抄」に「仏の滅後の次の日より正法一千年は持戒の者は多く破戒の者は少し正法一千年の次の日より像法一千年は破戒の者は多く無戒の者は少し、像法一千年の次の日より末法一万年は破戒の者は少く無戒の者は多し……又当世は末法に入って二百一十余年なり」(439㌻)と述べられている。

大集経だいじっきょうでは、「闘諍堅固とうじょうけんご」(僧は戒律を守らず、争いばかり起こして邪見がはびこり、釈尊の仏法がその功力をなくす時代)で、「白法隠没びゃくほうおんもつ」(釈尊の仏法が見失われる時代)であるとされる。

教学用語検索,SOKAnet,https://k-dic.sokanet.jp/末法(まっぽう)/,(引用 2019-2-14)

 

 

 

 

 

内証(ないしょう)

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内証の意味、以下引用。

自分の心の中で真理を覚ること。また、享受している内面の覚り。

 

教学用語検索,SOKAnet,https://k-dic.sokanet.jp/内証(ないしょう)/,(引用 2019-2-14)

 

 

 

 

 

久遠元初の自受用報身如来(くおんがんじょのじじゅゆうほうしんにょらい)

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久遠元初の自受用報身如来の意味、以下引用。

最も根源の法を覚知し、その功徳を自ら受け自在に用いている永遠の仏。

久遠元初とは、ある特定の遠い過去ではなく、永遠の根源を示す。

自受用報身とは自受用身ともいい、「ほしいままに受け用いる身」のこと。覚知した法の功徳を自ら受け自在に用いる仏の身をいう。

生命にそなわる本源的な、慈悲と智慧にあふれる仏である。

教学用語検索,SOKAnet,https://k-dic.sokanet.jp/久遠元初の自受用報身如来(くおんがんじょ―/,(引用 2019-2-14)




一閻浮提総与(いちえんぶだいそうよ)

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一閻浮提総与の意味、以下引用。

一閻浮提とは全世界の意。日蓮大聖人は、全世界の民衆に与えるという重要な意義を込めて御本尊を図顕された。

教学用語検索,SOKAnet,https://k-dic.sokanet.jp/一閻浮提総与(いちえんぶだいそうよ)/,(引用 2019-2-14)

 

 

 

 

無量義経(むりょうぎきょう)

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無量義経の意味、以下引用。

中国・南北朝時代の斉の曇摩伽陀耶舎どんまかだやしゃ訳。1巻。

法華経序品第1には、釈尊は「無量義」という名の経典を説いた後、無量義処三昧に入ったという記述(法華経75,76㌻)があり、その後、法華経の説法が始まる。

中国では、この序品で言及される「無量義」という名の経典が「無量義経」と同一視され、法華経を説くための準備として直前に説かれた経典(開経)と位置づけられた。

教学用語検索,SOKAnet,https://k-dic.sokanet.jp/無量義経(むりょうぎきょう)/,(引用 2019-2-14)




爾前経(にぜんきょう)

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爾前経の意味、以下引用。

法華経より前に説かれた経典のこと。

「爾」とは「それ、その」という指示語。

「爾前」で「それ(法華経)に至る前」を意味する。

 

教学用語検索,SOKAnet,https://k-dic.sokanet.jp/爾前経(にぜんきょう)/,(引用 2019-2-14)

 

 

 

 

観普賢菩薩行法経(かんふげんぼさつぎょうぼうぎょう)

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観普賢菩薩行法経の意味、以下引用。

中国・南北朝時代の宋の曇無蜜多どんむみった訳。普賢経、観普賢経と略す。1巻。

普賢経は法華経の教えをふまえた観法の実践を説くので、法華経の直後にその内容を承けて締めくくる経典(結経)と位置づけられた。

無量義経(開経)と法華経(本経)と普賢経(結経)を合わせて法華三部経と呼ばれる。

教学用語検索,SOKAnet,https://k-dic.sokanet.jp/観普賢菩薩行法経(かんふげんぼさつぎょう―/,(引用 2019-2-14)