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方便品寿量品解説④【準備編】

前回は無量義経むりょうぎきょう、妙法蓮華経(法華経)、普賢経ふげんきょう、という三つの経典の大意、つまり、無量の義が妙法蓮華経の根源の一法へ帰納し、そして一法を起点にして普遍的に無数の義が展開されるという、流れ、そして読み方に外用げゆう内証ないしょうという立場の違いがあることをみなさんで確認しました。

 

今回は方便品第二の “方便” の題号に関してなぜ方便と名付けられたかについて解説していきます。

この仏の“意図”をんで本文に入ることにより、より信力を高めて本文を飲み込めると思いますので一緒に学んで参りましょう。







ただ一仏乗のみが仏の真実の教え

妙法蓮華経並開結ならびにかいけつには

十方仏土の中には、唯一乗の法のみ有り、二無くまた、三無し、仏の方便の説をば除く

 

正直に方便を捨てて、唯無上道を説く

妙法蓮華経並開結 174P ,189P

という記載があります。

これは、成道後四十余年にわたり衆生の機根に応じ、さまざまに比喩因縁を説きましたが、それら爾前経が全て方便(一仏乗いちぶつじょうの為の手段)であったことを明かしている文章です。

釈尊はすべての衆生に仏界を開かせる為、ある人は声聞へ、ある人は縁覚へ、そしてまたある人は菩薩へと、まずは衆生の機根を高めるため、三乗から説いていきました。

そうやって三乗の境涯へ導いてきたのが、四十余年の爾前経の役割だったのです。

 

天台大師の “方便” 解説

法華三部経、開経の無量義経、説法品第二せっぽうほんだいに

諸々もろもろの衆生の性欲不同しょうよくふどうなることを知れり。

性欲不同なれば種々に法を説きき。種々に法を説くこと方便力をもってす。

四十余年にはいまだ真実を顕さず

妙法蓮華経並開結 88P

との言葉で、開経の無量義経の段階ですでに聴衆を驚愕させていた釈尊。

妙法蓮華経序品第一じょぼんだいいちで示される瞑想の座から立ち、いよいよ胸中の真実を語りだす、それが妙法蓮華経方便品第二です。

しかしいよいよ語られる “真実唯一の一仏乗” がなぜであろうか、“方便品” 。

真実の一仏乗を開示するならば、“真実品” “真意一仏乗品” なんて題号であっても不思議ではないはず。

これらの疑問に答えるべく、天台大師が題号の “方便” を解説しています。

まず、さきの「正直に方便を捨てて、ただ無上道を説く」の文言で言っている方便は、法用ほうゆう方便と能通のうつう方便の二種類です。

法用方便とは、衆生教化の方法が巧みで、衆生の機根に合わせて真実に導いていく教えの説き方をいい、六道流転の境涯から声聞、縁覚の二乗界へ導く方便を指します。

能通方便とは、衆生が小乗教で悟りを得たと思っている様を弾呵だんかし、真実に導く教えの説き方をいい、具体的には二乗を弾呵し菩薩界へ導く方便を指します。

法用方便、能通方便は、小乗教、ごん大乗経で用いる方便で、衆生に三乗が最高であると思わせる方便なのです。

この二つの方便を「正直に捨てて」という意義を妙法蓮華経方便品第二の文言に含めています。

そして、題号の方便品でいっている “方便” とは秘妙ひみょう方便を指します。

 

御書では、天台大師の法華文句第三を用いて、秘妙方便をつぎのように説明されています。

「文句の三に云く方とは秘なり便とは妙なり妙に方に達するに即ち是真の秘なり、

内衣裏の無価の珠を点ずるに王の頂上の唯一珠有ると二無く別無し、

客作の人を指すに是長者の子にして亦二無く別無し、此の如きの言は是秘是妙なり、

経の唯我知是相・十方仏亦然・止止不須説・我法妙難思の如し故に秘を以て方を釈し妙を以て便を釈す

正しく是れ今の品の意なり故に方便品と言うなり

方とは秘なり 便とは妙なり 妙に方に達するに 即ち是 真の秘なり、内衣裏の無価の珠を点ずるに 王の頂上の唯一珠有ると二無く別無し、」

 

御義口伝巻上 御書 713P

日蓮大聖人御書全集全文検索,SOKAnet,https://www.sokanet.jp/kaiin/gosho_search/page.php?n=713&x=21&y=10/,(引用 2019-2-2)

 

唯我知是相ゆいがちぜそう十方仏亦然じっぽうぶつしゃくねん」の経文のとおり、秘妙の “秘” =方 とは、ただ仏のみが知っている。という意味です。

我法妙難思がほうみょうなんし」の経文も文そのまま、秘妙の “妙” =便 とは、我々凡夫では至難不可思議の境涯。という意味です。

これらを妙法蓮華経信解品第四しんげほんだいよん長者窮子の譬え五百弟子授記品ごひゃくでしじゅきほん衣裏珠の譬えの二例で示されているのが上記なのです。

長者窮子の譬えちょうじゃぐうじのたとえは、長者の子が、自らが長者の息子と知らずに流浪し困窮するなか、長者の方便で長者の客人となり、やがて息子であることを自覚していくというものです。

窮子が実は長者の子供でありながら、知らない間は客人として働いていること、これを法用ほうゆう能通のうつう方便といっていて、ただ真実は父のみぞ知る、他の人には理解至難の不可思議境地。これを秘妙ひみょう方便といっています。

衣裏珠の譬ええりじゅのたとえは、旅に出る貧しい若者の服の裏側に宝石を縫い付け、本人は知らぬまま旅先で困窮しつつ、戻った故郷で宝石を縫い付けた友人に再開し、衣服の裏に実は宝石が縫い付けられていたことを知らされるというものです。

縫い付けた友人本人のみが知っていたという点、縫い付けられて知らぬまま、しかし実は宝石を持っていた。これを秘妙ひみょう方便といっています。

この譬えは仏(友人)と弟子(貧しい若者)の遥か過去世からの長遠な絆も示しており、また、この譬えは、誰人も生命の奥底には、無上の宝ともいうべき仏の生命を持っているということも示しているのです。

長者の息子であることを自覚した窮子も、知らぬまま働く窮子も、宝石を持っていることを理解した貧者も、知らぬまま旅する貧者も、実のところまったく同じ人間であることを示すところに秘妙方便の主眼(九界即仏界、仏界即九界)があるのです。

つまり、これが方便品の題号 “方便” の真意なのです。

仏のみにしかわからず、凡夫には不可思議。しかし徐々に自覚していく(信じていく)、あるいは実は持っていた、という、題号なのです。

仏が機根に合わせ、三乗道を説いてきたのは、一仏乗のためでした。しかし、一仏乗からたちかえって三乗道をみてみると、結局三乗も即一乗と開かれる。それを教えるための題号が秘妙方便の方便品だったのです。

小乗、権大乗で嫌われぬいた二乗界も、秘妙方便、妙法蓮華経からたちかえれば、全て蘇生され、成仏が開かれていく。

これらのことから題号を方便品と名付けた仏の真意の深甚さにただただ感動させられてしまうのです。

 

方便品寿量品解説 つづきはこちら
方便品寿量品解説⑤【準備編】

方便品寿量品解説 前の記事はこちら
方便品寿量品解説③【準備編】



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一乗(いちじょう)

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一乗の意味、以下引用。

一仏乗ともいう。成仏のための唯一の教えの意で、すべての者が成仏できるという法華経の教えのこと。

教学用語検索,SOKAnet,https://k-dic.sokanet.jp/一乗(いちじょう)/,(引用 2019-2-21)

 

 

 

 

三乗(さんじょう)

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三乗の意味、以下引用。

声聞乗・縁覚乗・菩薩乗のこと。それぞれ声聞・縁覚・菩薩の覚りを得るための教え、あるいはそれを実践する修行者のこと。さらに得られた声聞・縁覚・菩薩の境地も意味する。

教学用語検索,SOKAnet,https://k-dic.sokanet.jp/三乗(さんじょう)/,(引用 2019-2-21)

 

 

 

 

『法華文句』(ほっけもんぐ)

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法華文句の意味、以下引用。

天台大師智顗の講義を章安大師灌頂が編集整理した法華経の注釈書。10巻。法華経の文々句々の意義を、因縁・約教・本迹・観心の四つの解釈法によって明らかにしている。

教学用語検索,SOKAnet,https://k-dic.sokanet.jp/『法華文句』(ほっけもんぐ)/,(引用 2019-2-21)

 

 

 

 

長者窮子の譬え(ちょうじゃぐうじのたとえ)

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長者窮子の譬えの意味、以下引用。

法華経信解品第4に説かれる譬え(法華経210㌻以下)。

幼い時に家出した息子を見つけた大富豪(長者)は、父のことを忘れて貧しい生活に慣れた息子(窮子)に対し、まずは便所掃除の仕事を与え、やがて資産の管理をゆだね、子が成長したのを見届けて、臨終の床で人々に彼が自分の息子であることを明らかにし、一切の財産を相続させた。

大富豪は釈尊を譬え、息子は自らも仏に成れるとは思っていなかった声聞たちを譬える。

教学用語検索,SOKAnet,https://k-dic.sokanet.jp/長者窮子の譬え(ちょうじゃぐうじのたとえ)/,(引用 2019-2-21)




衣裏珠の譬え(えりじゅのたとえ)

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【仏教ものがたり】勇気がわくふしぎな宝石

衣裏珠の譬えがとても解りやすい動画です。


衣裏珠の譬えの意味、以下引用。

法華経五百弟子受記品第8に説かれる譬え(法華経338㌻以下)。

ある貧しい人が親友の家で酒に酔って寝てしまった。

親友は彼のころもの裏に無価の宝珠(価が付けられないほど貴重な宝石)を縫い付け、出かけていった。

目を覚ました貧しい人は、それに気づかず、衣食を求めて他国を放浪するも困窮した。

やがて親友と再会して衣の裏の宝珠のことを知らされた。この譬えを通し、阿羅漢の覚りを得た声聞たちは次のように語っている。

すなわち、釈尊はかつて声聞たちを教化し仏の智慧を求める心を生じさせたが、声聞たちはそれをすぐに忘れてしまい、阿羅漢になり涅槃を得たことで満足してしまった。

しかしそれは、真実の覚りではなく、また自分たちが真実には菩薩であると知った。

教学用語検索,SOKAnet,https://k-dic.sokanet.jp/衣裏珠の譬え(えりじゅのたとえ)/,(引用 2019-2-21)