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石原さとみと謗法厳戒?謗法(ほうぼう)とは何か?

謗法厳戒ってなんでしょう?クリスマスやお正月ってなんでしょう?

知ってるようでよく知らない謗法厳戒、その本質についてお話しします。

石原さとみと東京メトロ

石原さとみさんが内部(学会員)なのは、このブログの読者の方なら、ご存知でしょう。

彼女は創価学園(中学・高校)の出身です。創価大学には外部も多くいますが、創価学園生は基本、学会っ子です。

彼女が、とあるCMに出演してから、一部の学会員から、謗法ではないか?と声があがっているのですが……

それは、東京メトロ(地下鉄)の街の魅力を紹介するCM。

このCMの中で、門前仲町の飲食店を訪れます。この飲食店は有名な神社の境内の中にある店舗。“鳥居”をくぐらなければ、入れません。

このことが、一部の学会員には、掟破りをしたと映ってしまっているのです。

加えて、元カレ、山ピーとの共演ドラマの中で石原さとみさんが僧侶と恋愛をします。

このことから、僧侶の嫁ってありなのか?という疑問があがります。

まず、結論から述べますが、これらの行為は謗法ではありません。

それではなぜ、謗法とはならないのか?これを理解するには、謗法そのものを理解する必要があります。

謗法とは?

まず謗法ほうぼうとは、誹謗正法ひぼうしょうぼうを略した言葉をいいます。

“誹謗正法”とは、正法を軽んじる言動や物品の所持等の行為を指し、概して正法を誹謗ひぼうすることを指します。

誹・謗とは“そしる”、つまりけなす、くさす、非難するなど、悪くののしることをいいます。

十四種類の誹謗、十四誹謗じゅうしひぼうなんてのも有名ですよね?

ちなみに十四誹謗のひとつに憎善ぞうぜん(仏法の善を信受する者を憎むこと)という項目があります。

南無妙法蓮華経と曼荼羅ご本尊と日蓮大聖人を信じる、心に悪のない人に対しては、基本的に嫌ってもバカにしてもいけません。

福運スッカラカンになりますよ。ホントです。

謗法厳戒とは?

では、謗法厳戒ほうぼうげんかいとはどういう意味でしょうか?

その言葉の意味の通り、正法を誹謗することを厳しく戒めること、です。

それでは十字架のネックレスにみなさんは宗教性を求めていますか?

クリスマスの七面鳥、バレンタインデーのチョコに宗教性を求めていますか?

そもそもバレンタインってなんなのか、みなさん知ってますか?

正法を信じず、別の思想を信じることも、謗法となりますが、十字架のネックレスを身に着けることによって、キリストの思想を信じているわけではないですよね?

あくまで個人の主観ですが、ファッション性99%かと。

では、なぜ牧口先生が謗法厳戒といって神札を拒否したのか?

神札を祭ることがなぜ正法誹謗となるのか?正法の本質を考えてみましょう。

正法の本質

私たちが行う信仰は何なのでしょうか?

南無、妙法蓮華経。つまり、法華経です。法華経の智慧、思想、大生命力が、仏の極めた究極の境涯です。

この境涯を勝ち取っていく為に日々、自行化他の修行を積み重ねて、六根清浄していくのが、私たちの信仰です。

六根清浄していくから功徳が出る。六根清浄と逆をいけば、必ず罰が出る。

正法の本質はこれであり、これに反することが全て謗法となります。

神札を祭ることは、神道しんとう、神、天皇をあがめることになり、外道です。

外道げどうとは、神道だけでなく、あらゆる神を対象とした信仰をさします。

自分の幸福を、自分以外の “なにか” に委ねる信仰が外道です。

これは、他力本願の惰性と自身の内省、向上心を失いがちな点から主体性の欠如を生みます。

自分の幸福を自分自身で六根清浄していき大境涯を開いていく正法とは比べようがありません。

形式的な作業を受け入れることに甘んじるのか、思想信仰を受け入れることに甘んじるのか。

何が謗法となるのか、徐々に解ってきましたね。
神札を受けるという形式的な作業の受け入れを、宗教法人の “組織として” 受けて、祭ってしまっては『それをよく知りません、よく解りません』とは言えないのです。

理解しているのが当たり前であり、つまり神道の思想信仰を信じることを組織として認める形になってしまいます。

その思想と神道の神々を祭る様は、おおよそ六根清浄とは真逆の “臆病” そのものです。

その臆病という生命こんからは、いづれ罰が出ないはずがありません。

御書に

謗法を責めずして成仏を願はば火の中に水を求め水の中に火を尋ぬるが如くなるべしはかなし・はかなし、何に法華経を信じ給うとも謗法あらば必ず地獄にをつべし、うるし千ばいに蟹の足一つ入れたらんが如し、毒気深入・失本心故は是なり

曾谷殿御返事 御書 1,056P

日蓮大聖人御書全集全文検索,https://www.sokanet.jp/kaiin/gosho_search/page.php?n=1056,(引用 2019-3-25)

とあるように、間違った思想、誤った信仰対象を信じると、題目をどんなにあげても地獄に落ちてしまう。

だから、謗法をしっかり認識しなさい、認識する為にも責めて(折伏して)いきなさい、と言っているのです。

創価学会の『組織として』神札を祭ってしまうことと、

石原さとみが『個人として』鳥居をくぐることとの違い、

みなさんはご理解頂けたでしょうか?

ポイントは『まず立場の違い』でたてわけて、その上で『思想信仰心の有無』を問う、というわけです。

石原さとみさんが、鳥居をくぐって神道に思想を委ねているわけでもなければ、石原さとみさんがドラマで僧侶の嫁をやって僧侶(このドラマでは臨済宗)の思想と信仰を宣伝をしているわけでもありません。

むしろ、学会員として有名なわけですから、メディアに出れば、創価学会の宣伝になるのは、いわずもがなです。

摂受と折伏

末法の修行は折伏とはいいますが、決してそれだけではありません。

相手の機根や環境において知恵を最大にめぐらすならば、つまり相手への配慮と思いやりがあるならば、さまざまな方法があるはずです。

新人間革命の6巻に、イスラムとの対話は最も難しいのでは?と黒木が主張するのに対し、山本伸一は、イスラムとの対話といっても宗教上の教義をめぐって語り合うのではなく、まず、同じ人間として語り合える問題から語っていけばいい、と黒木を諭すシーンがあります。

ここまで説明すればお判り頂けるでしょう。

石原さとみさんのCM、ドラマひとつで謗法云々といっていること自体、低次元であるということが。

池田先生は、京都を訪問した際でも、堂々と他宗の墓参りで手を合わせます。

むしろその空間をすべて抱擁するかのごとくです。

時と場合、環境を鑑みた上で、バランスの中道を据えながらも、心は確固たる法華経の思想に信を置く。

むしろ彼女の今回の出来事をきっかけに、それぞれが謗法厳戒とはなんなのか?

としっかり向き合って、納得いかないのであれば、本部に指導を受けにいけばいいのではないでしょうか?

むしろ、本部指導を受ける求道心も持たずして、あーだこーだと外野で “人の信心” にケチをつけること自体、怠慢であり、十四誹謗の憎善にあたるのではないでしょうか?

 

さいごに

石原さとみさんは、私と同い歳です。勝手に親近感を持っています。是非頑張ってもらいたいです!!

みんなで応援しましょう!!心配ならば、祈ってあげましょう!!

それでは、今回も記事を読んで頂き、ありがとうございました!


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