運とは何か?その本質を知りたいですか?
本記事では運の正体を解説します。
運が悪いと感じる人は必見です!!
運の本質・運の正体・運とは何か?
運が良い、運が悪い、これ、冷静に考えたことがありますか?
トイレに入って紙がない。運がいいですか?悪いですか?
人によって違いますよね?
『トイレが故障してなくて用を足せた』よかった。
『トイレが詰まって逆流してなくて用を足せた』よかった。
紙がないことにフォーカスしないで、用を足せたことにフォーカスして運がいいと受け取る人。
逆に、
あらゆることを当たり前と捉え、紙がないことだけにフォーカスして、運が悪いと受け取る人。
起こった事象はまったく同じです。しかし、実際には、運がいいと思う人と、運が悪いと思う人がいる。
運とはきわめて主観的な事柄です。
宝くじの当選は明らかに幸運なのではないか?
宝くじにあたって不幸になる人がいます。海外メディアではその手の話は有名ですが、日本でも2005年に「岩手宝くじ殺人事件」がありましたね。当たった人が騙されたり、脅されたりして、巻き上げられたりという話は、幾らでもあります。
ことわざでさえ、「あぶく銭は身につかぬ」「たなぼたは身の破滅」という言葉があるほどです。
つまり、見出しで言っている『宝くじの当選は明らかに幸運なのではないか?』という言葉自体が、そもそもポジティブな主観からの疑問となるわけです。
ポジティブな主観者は明らかに幸福だろうと思い、ネガティブな主観者は死ぬかもしれないと様々な不幸を想定し始めます。
当たった現実も、当たった瞬間の喜びも、まったく同じ。しかし、そこから先、『運』が良かったと言えるか、悪かったと言えるかは、その人間の主観次第ということなのです。
価値観による幸運、不運
お金に対する価値観の有無、健康に対する価値観の有無、社会的な自我に対する価値観の有無、色んな欲求があり、また欲求の少ない人もいます。
お金はいらないが異性にモテたい価値観の人は、宝くじが当たることよりも、身長が伸びること、容姿端麗になること、スタイルよくおしゃれになること、楽しい会話をする能力、なんかを手に入れられた方がよほど幸福でしょう。
宝くじで10億当たることよりも、整形番組に当選してプロの美容外科たちに手術してもらうことの方が運がいいと感じるかもしれません。
10億あれば手術はできる、けど、自分で信頼のおける各パーツの外科医を探したり、あちこちクリニックを這いずりまわって調査して、なんてやらずに番組にお任せで全面的にやってもらう方がこの人は幸福なのではないでしょうか?
これらのように、それぞれ個々人の信条、価値観、ポジティブネガティブ、などの主観によって運がいい悪いは語られています。
それでは運の正体は主観。で終わり。
というわけではございません。さらに多角的に見ていきましょう。
運が存在する派・運が存在しない派/運とは存在するのか?
ビジネスで成功する社長には、全てが運だった、と語る者もいれば、運など存在しない、愚直に行動し続けるだけだ、と主張する方もいますね。
運の存在を肯定するものと、運の存在を否定するもの。主観が違うのに、ビジネスの成功という結果は同じ。
根底ではネガティブ思想なのに宝くじに当たってしまう人がいるのも現実です。果たして運とはなんなのでしょう?
運とは気であり、バイオリズム
運とは気でありエネルギーです。津波や地震にも核があります。津波の流れにも最大にエネルギーが集中している点があれば、エネルギーがバラけて分散されている点も散在します。それらが規則性と不規則性の両面を持ち合わせながら流れていきます。
運とは気でありエネルギーです。エネルギーの無数の流転の内の最大力点がぶち当たる瞬間、このバイオリズムのかみ合わせが宝くじの当選やビジネスの成功などを生みます。
そしてそれは、ネガティブな人間にも、運を信じない人間にも、ランダムにぶち当たるのです。
だからこそ、行動をしないと始まらないのです。
運は存在しないのか?
これは簡単です。実力の上の者と実力の下の者が勝負したときに下の者が勝つこともあるように、運としか説明がつかない事柄は世の中にありふれています。主観とは別次元の問題で、現実の上に厳然と起こる現象としての運は確実に存在するでしょう。
運とタイミングと質
運とは個々それぞれで巡るものである以上、複数の運が関われば、タイミングのズレひとつで交通事故にも電車の人身事故にも無差別殺人にも遭います。運とは時間であり、瞬間です。
そしてそこには同じものはなく、質が存在し、凝縮されているときもあります。
2018年の8月20日にスイカが生る。しかし、毎年8月20日に実るスイカは別のものです。極端に味のうすいもの、極端に甘いもの、あるいは別の地で濃縮されたスイカが出来上がることもあるでしょう。
また夏の1時間と冬の1時間では、できる作業も、日の明るさも、まったく質が違います。
このように同じようなタイミングであっても、また同じ長さであっても、その中身の質は違うのです。
運とは気でありエネルギーですので、極端に凝縮されたエネルギーの日、も存在してしまう。
そういった日が大震災だったり、宝くじ当選だったり、という凝縮された質を生むのです。
それではなぜ、運の質の違い、タイミングのズレが生じるのでしょうか?
運とは気です。
つまり気、すなわち考えや想いというものの大小の揺らぎが連動して、波が起こっているのです。
なぜ宝くじが当たると信じると本当に当たるのか?
高額当選者の多くに当てはまる特徴に、『当たると信じて疑わない』『当たるという直感が働き普段買わないが直感を信じて買った』というものがありますね。
勿論ネガティブ思考であっても当たりはします。しかし、当たっている人の多くはポジティブ思考です。
なぜなのか?
それは運というものが考えや想いから影響を受けているからです。
考えや想い、これらのインパクトが大きいものほど、現実はそこに向かって流れ始めます。
ブラックホールが全てを飲み込むのとイメージは一緒です。
宝くじが当たると信じる心が純度100%に近い人ほどエネルギーが充満し、結果、莫大なエネルギーが接近してきます。
運とは、考えや想いを具現化するべく環境、状況を導いていく性質を持っているのです。
自分の考えや想いがスケールの小さいものであったり、ネガティブな前提ばかりを設けていれば、その環境、状況へ導くよう運が流れていってしまうのです。
そもそも考えてもみてください。本当に当たらないと信じている人は、宝くじは買いません。
当たると思って買っている人が大半だから、当選者にネガティブ思考者は少数なのです。
ギャンブルの本質
ギャンブルの本質はいうまでもなく、楽をして価値を得ることです。
この思想には賛否両論ありますね。
苦しいことから逃げて逃げて逃げぬくと、腐った人間しか出来上がりません。
「カジノにのめり込んで自社資金100億円を個人的に借り入れ、逮捕される」事件を起こした、大王製紙元会長・井川意高さんも、最終的には、
人間は楽な方へ、楽な方へと、どうしても行ってしまう。この歳になって「まさに」だな、
と自身を振り返っています。
そして一方で、楽をして人より稼ぐ人も世の中には存在するのが現実です。
時給900円の仕事が楽なわけではなく、時給1400円の仕事がキツイわけでもない。時給2000円以上換算の社員がバイトより責任も取らず物理的に働いていないことも多々あります。
業界によっても根本的に違いがあり、飲食業では原価率、利益率に限界があり、IT業界では、ポテンシャルにおいて高いイニシアチブをとれます。結果的に業界としての利益は多く、給料にも還元されやすい傾向があります。
お察しの通り、根本的なシステム、業界の盛況具合、需要、この時点で業界ごとに社員への分配という不公平は発生しており、視点を戻すと、
苦労してお金にならない人と、楽をしてお金を手に入れる人は、相対的に厳然と存在する、ということなのです。
当たり前のことで、みんながみんな、いい仕事(笑)を探して、楽をしてお金を手に入れようと、生きています。
すなわち、別に楽をしてお金を手に入れる思想自体は間違っていない、ということです。シンプルにその方が賢いです。
宝くじは地方自治体(一部は寄付となる)に対価を払います。そして運による再分配から楽をして対価を得ます。
盛況な業界で働く人は、資本流通の再分配から楽をして対価を得ます。
生活保護受給者は、国民の税金の再分配から楽をして対価を得ます。
ギャンブルそのものに悪はない。
常習化すること、人間の鍛錬をやめてしまうこと、これらの病的な堕落した精神に不幸が潜んでいるのです。
年に数回の宝くじ、競馬。仕事をしっかりやって精神をきちんと鍛錬しているならば、何も責める類のものではないのではないでしょうか?
ただ常習化させる素因となるパチスロなんかは月何回までとか国で法案作った方がいいと感じます。それで潰れるならパチスロ店は社会に不要な産物です。
さて、特に宝くじが悪者ではないことはご理解頂けたと思います。
話をエネルギーに戻します。
なぜ『大安吉日』を狙うのか?
ここまでの内容を読み進めて頂いた方はもうお察しでしょう。
それは、大安吉日が当たるという思念が集まるから、です。
みんながみんな大安吉日が当たると信じるエネルギーの増大さによって、結果的に大きなエネルギーが接近します。
この売り場は当たる!という噂が流れ、事実当たりを出している売り場をみなさんもご存知でしょう。
これも原理が同じです。
当たると信じたエネルギーが集まるから、当たるのです。
気は考えや想いであり、またエネルギーであり、それが運の正体だからです。
ケセラセラでは弱い/なぜヤクザは生き残るのか?
ケセラセラ=『なるようになる』
では弱い。というのは、考えや想いが弱い、つまり気が弱いからです。
エネルギーも他に負けてしまいます。
正義は勝つなんてのは嘘です。ヤクザがいまだに生き残る理由は、念の強さです。
気が強いから、エネルギーが強い。エネルギーは関連する、交錯する場合は、強い方へ流れます。
勝負事が攻め抜いた方が勝つと言われる理由はこれです。守りに入っては負けるのが本質です。
だからこそ是非、正義は気は強く持ち、エネルギーも強く、運を動かし支配して、勝って頂きたいと願います。
強運の才能/【運とは 名言】
いままでの話をまとめます。
- 運とは主観的な事柄である。
- 運とはバイオリズムであり運を信じないものにもぶち当たるからこそ行動の数がものをいう。
- 運に同じ瞬間というものはなく濃さ(質)も毎瞬違う。
- 運とは考えや想いを具現化するべく環境状況を導いていく性質を持っている。
- 楽をしてお金を手に入れる思想自体は間違っていない
- 常習化すること人間の鍛錬をやめてしまう精神に不幸が潜んでいる。
- 当たると信じたエネルギーが集まるから特定の日や特定の場所に運が流れる。
- エネルギーは交錯する場合強い方へ流れる。
交錯する場合強い方へ運が流れますが、元々の流れ、勢いなどがあることも含めて、端的に思念が強い方へ現実が流れるという単純なものではないです。
運を究めるということは、考え・想い、を究めることと同義です。
考え・想いを究めるということは、万人の善性を信じること、つまりポジティブ思考であり、自分の生きる意味を肯定的に捉え必ず結果を残すと誓いあらゆる分析・勉強・努力を怠らず鍛えること、これもやはりポジティブ思考です。
あらゆる事柄をポジティブに信じれば、行動の手数が増えます。
おのずとつかむチャンスも増えます。
分析の精度をあげていけば、今流れている運の見極めの精度もあがります。
流れに逆らわず、意志を強くポジティブにもった主観でさらに自分へと巡らせていきます。
強運の才能とは、つまり思考の才能なのです。
最後に私の尊敬してやまない名将野村克也氏の名言で締めます。
「自分は運が悪いなあ」と嘆くのは簡単。しかし不運(良い結果が出ない)には必ず、それなりの理由がある。そして幸運にも、それ相当の過程がある
心が変われば態度が変わる態度が変われば行動が変わる行動が変われば習慣が変わる習慣が変われば人格が変わる人格が変われば運命が変わる運命が変われば人生が変わる
心を究めて、運を究めて、人生を変えましょう!!