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【創価の会合に行きたくない】世代の価値観の違い/“青年は前へ”と会合で無理やり誘導される現状

会合に行くと「近況報告・活動報告」で、新聞啓蒙や対話拡大など何も話す事が無くて、なんともいたたまれない思いがありませんか?

「友達に(新聞)頼めない?」と聞かれ、次々会合の予定を言われ、断るの、気が重くないですか?

少子高齢化で30代40代でも若者と言われ、様々な役割がまわってきませんか?

『青年部は前へ』と会合で最前列に座ることを無理強いされていませんか?

世代の価値観の違いと現代の若者が何を一番大切にして生きているのかを、どう理解し、壮年婦人の権威化した組織を、どう祈っていけばいいのでしょうか?

 

少子高齢化で今、何が起こっているのか?

青年が組織離れしていく理由、その本質に迫ります。これらにいち早く気づき、対策を施さないと社会も、学会も潰れてしまいます。是非今回の記事でみなさんの命の中にある互いの価値観を受け入れる心を拒否する“無責任”について自ら問いかけて頂けたら、幸いです。

 

少子高齢化社会の社会構造と若者の疲弊

少子高齢化社会の会社では、20代、30代が圧倒的に少数派です。会社には必ず“怠けもの”“働きもの”がいますよね?

一般常識として、“若者は一生懸命働くべき”“年配者は敬うべき”、などあるのはみなさんもご存知かと思いますが、少子高齢化の企業において、40代、50代の年配者が圧倒的多数となっている現在においては、その多数や常識を武器にして、怠けるおじさん、おばさんが急増しています。

『若者が働けばいい』という多勢に無勢です。

現場において1人、2人ほどしかいない若者を捕まえては、若いうちは一生懸命に働け、と指導してくる圧倒的多数の“先輩方”たち。

まじめで働きものの若者は、まじめに働けば働くほどに仕事を丸投げされていきます。

同じ給料でともすれば、人の2倍、3倍の仕事を割り振られます。

残業が発生すれば、残るのは若者、休日出勤も打診されるのは若者、40代のおじさん、50代のおばさんたちは、ミスをしても叱られることもなく、最終的にはきちんと見ていなかった若者に責任をなすりつけてきます。

若者がやればいい、若者が責任をとるべきだ、という理由で。

 

昔と今では社会構造が違います。若者が大多数いて成り立った時代はよかったですが、今は若者が少数で、昔の時代感覚のまま、当時の“当たり前”“やれ”と言ってくるのです。

今の若者は根性がないとか、精神力が弱いとか色々言われます。たしかに私も同意しますが、はたして若者だけが悪いのだろうか?という疑問も感じています。社会構造として、なにもかもをひとりの若者に背負わせて、できないことに対して『根性がない』と責め立てる。

そういった社会構造に一向に気付かず、或いは気づかないフリをするのはなぜか?

楽だからです。

若者がやればいい、若者が責任をとるべき、教育の為に若者にやらせる、こうやって言っておけば、自分はやらなくていい。

ずるい年配者ずるい自分を棚上げにして『かわいそう』と気づいていながら、若者がもがくさまを傍観しているのです。

 

否定社会という新時代がもたらした “気が弱い若者” たち

少子高齢化の社会構造から見えてきた現代の若者。

今度は生きてきた環境の違いバックボーンからの世代間の価値観をみていこうと思います。

▼まずはこちらをご参考ください▼

 

いかがでしたでしょうか?

現代は圧倒的価値観の多様化をバックボーンにして否定社会が構築されてしまっております。

また、このような背景から、現代の若者が持つ最も大切にしている価値観はなんなのでしょうか?

それは、自我です。もっと端的にいうと精神です。

 

戦後最も価値がおかれたものは食べものです。

そして高度経済成長時に価値がおかれたものはお金です。

私は介護職を経験しましたが、年齢、世代に応じて価値観の重きをおいている傾向性に実感したものがあります。

一定の世代まではお金が最重要、しかしそこを越えてくてくると食べ物が最重要、そのような方々が多かったのです。

 

それぞれの時代において、なかったものに価値観がフォーカスします。

現代は何が足りないのでしょうか?

食べ物はありふれています。生活保護も年金も社会権はがっちり保障されています。

 

否定社会、故に自己肯定感が足りないのです。

 

現代の若者が最も大切にするのは自己肯定感であり承認欲求であり、自我であり、突き詰めれば精神なのです。

どんなブラック企業でもやりがいさえあれば、アイデンティティさえ確立できれば続けていけるのが現代の若者の正体です。

若者と年配者の中間世代である40代の方、高給でないとやってられないというあなたは、どちらかと言えば高度経済成長世代寄りと言えますし、お金に興味がないというあなたは若者寄りと言えるでしょう。

少なからず20代、30代の多くは承認欲求が満たされないと、精神が大切にされないと、必ずと言っていいほどに、退職していきます。

 

男子部(青年部)は前へと言って決して自分は前に座らない

上記の少子高齢化の社会構造、価値観多様の否定社会という社会構造、これらを念頭に入れた上で、考えながら読んで頂きたいのが以下のエピソードです。今、創価学会で起こっている現実です。

 

壮年男子部合同の唱題会

筆者が会合に参加した際のエピソードです。

 

会合に行くと『男子部(青年部)は前へ』との誘導をされました。

自分の座る場所くらい自分で決めさせてはもらえないのか?もとより前に座りたくない。

3回断りました、私と共に参加した男子部員Aくんの心が折れて、Aくんが『前に行こうか?』と、結局私も前に座ります。

釈然しゃくぜんとしません。なぜ、座る場所を強制させられるのか?怒りを抑えるのに必死です。

 

2回、3回と『前へ』と言ってくる壮年もなかば『青年は前に行けっていってんだろ?』と不機嫌な表情。

私の友人に精神疾患の内部の人がいますが、とてもこんな『強制的に前に座らされ、後ろから囲まれ、幹部の目の前にさらされる』会合には、誘えないと思い、一度もこの壮男合同の会合には誘っていません。

 

解決策は簡単なことです。男子部の側が境涯革命をすれば解決します。

ただ、境涯革命にいたっていない男子部員はとてもじゃないですが、参加したくなくなる会合なのです。

結果的にはあらゆる嫌な事柄でも飲み込んで参加できるある程度の“信心のある青年”しか座談会にも参加しなくなりました。

座談会に参加できる青年はとても勇気のある青年そんな現実を作りだしています。

 

 

今、組織には余裕がありません

おのずから前に座る、そういった人材が現れるのを『祈ってじっくり待つ』ということができない余裕のなさを抱えています。

 

実際のところは
『誰も前に座ろうとしない』組織であることを隠す為に、一人二人しかいない若者を無理やり前に座らせ、恰好で組織を盛り上げようとしている。
だけなのかもしれません。

しかしそのように扱われた若者は次の会合に参加するでしょうか?

 

学会の中でさえ否定社会になりつつある

個人の信心の価値観の押し付け合いが横行しています。

Fは取らなければならない。折伏はしなければならない。出れる会合には全て参加するべき。新聞啓蒙をしなければならない。

信心は権利です。義務ではありません。やらない人が非国民の扱いを受ける差別主義の学会だから、座談会に人が来なくなるのです。

 

戦いの功徳は計り知れません。給料があがる。病気が治る。こんなものよりもはるかに偉大な功徳が心の財です。

相手の辛さが解る共感性、人の為に生きる喜び、何ものにも動じない強さ、そして使命感感謝の境涯。

こういった功徳を手に入れる為に戦うのであって、境涯を変えることの幸福に納得すれば、火が付けば、闘いを開始するのが道理です。

火が付いていない。納得していないから、闘わないのに、闘わないこと自体を責める。

 

精神の渇望の激しい時代なら、精神の功徳を求めて闘うのが王道であり、闘う権利を私たちはもっています。

 

否定社会の学会で、差別を受けたくないから義務でやる信心の功徳は果たしてどれくらいでしょう?また個人の義務感を押し付けようものなら最早組織破壊に通じてしまうのではないでしょうか?

是非とも、学会の中の差別主義を共に破壊していって頂きたいです。

 

 

ともあれ逃げるわけにはいかない

会社組織も学会組織も逃げるわけにはいきません。弱い自分からはどこへ行っても逃げられないからです。

会社も学会も『ずるい人』『境涯の低い人』しかいないというのが現状であるならば、祈るしかありません

【学会指導・信心】人間関係(嫌いな人)の祈り方とは?の記事にも書かせて頂きましたが、自分含めて周りの人すべて、ひとりひとりが大成長できるように祈るしか、本当の意味での逃げ場はないのではないでしょうか?

  • 全学会員が大成長し、時代と背景と個人の心が解り、否定社会と差別主義を乗り越えた、精神の功徳と大境涯を開いていけるように!

このように祈っていくしかないと、感じています。

 

どんなにお金があっても健康でも人間性豊かであっても “弱い” ただそれだけで不幸

否定社会の背景も悪い。少子高齢化の構造も悪い。悪いのは事実ですが、悪い悪いとばかり言っていては何も前に進みません。

記事の冒頭に触れた、会合に行くと「近況報告・活動報告」で、新聞啓蒙や対話拡大など何も話す事が無くて、なんともいたたまれない思いがありませんか?

や、「友達に(新聞)頼めない?」と聞かれ、次々会合の予定を言われ、断るの、気が重くないですか?

などは、『弱さ』が苦しみの正体です。

 

この弱さを抱える限りは、億万長者になっても、100歳で農作業ができる頑健であっても、優しくて才能豊かであったとしても、小さなことひとつひとつに苦しみが付きまといます。

 

愚痴の本質弱さなのです。

 

青年部発展のカギとは?

いつだって社会が抱える闇が、創価の闇でした。

戦後の貧困は、その当時の創価の闇です。

今は豊かになりましたが、現代社会が抱える闇は自己肯定感の欠落です。

つまり、現代の創価学会の闇は、自己肯定感の欠落であり、人間関係であり、精神疾患であり、言うなれば精神の飢餓せいしんのきがなのです。

 

社会に精神の飢餓が蔓延し、救いを求めるべく創価学会に入ってきます。現代の創価学会は精神の難民の集合体であり、若者が主にメインで精神の飢餓状態ですし、今後もさらに増えていくことでしょう。

ただでさえ、少子高齢化で社会でも、学会組織でも、物理的、精神的に抱える事柄が多種多数になってしまった若者です。

現代人は精神の飢餓状態にあるということを前提に考えるならば、最も大切にしてあげなければならないのは人格であり、です。

 

したがって、安易に『前に座らせたり』『話がないのに話させる』などの行動は控えるべきなのではないでしょうか?

弱い心に対して意義さえ語らず頑張ろう頑張ろうでは通用しないのです。

 

座談会や会合で自分の話をしてもらいたいなら、

事前に丁寧にキメ細やかにスッキリするまで話しあっておく準備が、今後の創価学会が発展していく為には必須なのではないでしょうか?

 

人を育てたいなら、祈って、祈って、じっくり待つことです。

 

一定の境涯を確立した青年だけが参加できる創価学会なのではなく、最底辺の境涯の青年でも暖かく受け入れることができる、余裕と温かさがある創価学会を作っていくことが、今後の『創価青年学会』発展のカギとなるのではないでしょうか?

 

答えはとてもシンプルです。先生がいう『ひとり(の心)を大切に』ということです。

 

祈り方まとめ

  • 全学会員が大成長し、時代と背景と個人の心が解り、否定社会と差別主義を乗り越えた、精神の功徳と大境涯を開いていけるように!
  • ひとりを大切にする学会をみんなで作っていけるように!
  • 強く強く、成長させてください!!

これら3点を是非、ご祈念帳に書き足してみては、いかがでしょうか?