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【創価学会・役職・断る】役職を断ると罰はあるのか?

創価学会役職でお悩みですか?
本記事では筆者が役職に関して、学会本部相談室指導を受け、相談員の方の “境涯” に触れて感じたことをまとめています。
役職で悩む方の参考になれれば幸いです。

役職を断りたい!!

役職を断りたい。とかく部長は断りたい。部長ともなれば主観的常識では創価班牙城会班長本担がセットでついてきます。

全国的な通例は判りませんが、主観的に見た筆者の所属現組織ではこれがたいていの“お決まり”です。

ラインの役職では部長以上は必ず部長会という会合があり、人材グループでも班長部長会があります。

着任に関しては、班で欠員が出る場合、全て穴埋めするのはたいてい責任を背負う班長ですし、本担ともなれば年に3連休を4回は取る必要があります。勿論全ての会合を消化するのは不可能ですし、その環境でできる限りを挑戦しきることに本義があるのは理解できます。

ただ、時間がなくなるのは明白で、それが耐えられないのです。

 

筆者が最も求めているものを永らく考えていました。使命云々とは別の、シンプルな欲求です。

それは “余裕” でした。時間の余裕。経済の余裕。人間関係の余裕、あらゆる余裕が欲しいです。

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母の役職観

母の役職観はシンプルで

“学会の役職は戸田の命よりも大事だ” です。母は過去に引っ越しをしていて、それを本人は役職から逃げたと解釈しています。

母は大病(精神疾患)を患っていますが、その病を役職から逃げた罰と認識していて、譲りません。

青二才の筆者は逃げたこと大病との明確な因果関係がわからない為に、その話にイマイチピンとはきていません。

そもそも精神疾患は、元々の発症しやすい遺伝的体質的素因と、どうにも回避できないストレスフルな環境、食事環境、睡眠環境、運動習慣等、改善不可な追い込まれた生活環境、或いは当人の思想的病根(三毒)などあらゆる複合した総合的素因によって脳が限界を超え発症します。

大病の因は遥か過去世からの謗法だと思いますし、積み上げたあらゆる要素が複合的に織りなって結果をもたらしたものであると思っています。

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指導を受けに信濃町へ

本部相談室に行きました。

端的に役職を断ることによって罰があるのかを質問したのです。

 

御書には(罰は)色々出てくるが、罰はないと思う。という回答でした。“ないと思う”との回答。

 

相談員の方は、そもそも罰論は好きじゃない、その先がないので。と続けました。

罰と思うようなことに対して罰と思うかどうかであってその主観によって罰にもなり、またならなくもある。

つまり厳然と罰なるものがあるのではなくて、あくまで個人の主観によるものと思っている。と。

 

さらに、多忙な仕事で体調を壊していたり、家族の介護で生活が縛られていたり、難関試験など、外的な要因でやむをえずなら仕方ないことだし、内的な、単に心が引いているだけなら、よく題目をあげたほうがいい。と指導されました。

いずれにせよ罰はないと思う、と。

 

つまり内的な退きがあるわけでなく、広宣流布への明確な意志があれば環境側面で引き受けられないなどは仕方がない。しかしそれでも、決めるにはよく題目をあげよ。ということでした。

 

ちなみに応対してくれた方は副会長ではない、とのことでした。

ただ、県全土を管轄していた青年部時代もあるとのことだったので、当然ですが方面幹部の方なのだろうと思います。

 

この方に色々と質問もしてみました。

役職を断ったことはありますか?
⇒ 一度もない。

役職を断ろうと思ったことはありますか?
⇒ 一度もない。

それはなぜですか?
⇒ 一番最初に信心のいろはを教えてくれた人から『役職は断ってはいけない』と言われていたから。
その人のようになりたくて信心をしていた。だから言われた通りに信心してきた。

 

役職を断られるかどうかは役職を言い渡す幹部で決まる

とある疑い深いキリスト教信者なぜ信仰の道にハマったかの体験談を昔読んだことがありますが、一番最初に聖書を説明してくれた人の人格があまりにも偉大だったから、という回答でした。何を聞いても懇切丁寧に腹を立てずに相手しきってくれた。と。

 

やはり偉大な人格が、愛が、人に信力を与えるのでしょう。そう確信しました。

この本部相談員の人はその意味で本当に環境に恵まれた人なのだろうな、と感じたのです。

 

もうひとつ質問しました。

役職を受けて幸福に思うことは?
⇒守備範囲が拡がること。様々な問題や出会いが増えていくこと。対応するごとに境涯が拡がり、またその切磋琢磨が今生人界の思い出と積み上げられてきた実感があること。

そもそもこういったことはポジティブな境涯でないとできない所業です。

境涯が拡がり、悩みが悩みじゃなくなることは、実際に境涯が拡がった人でないとわからないことでしょう。

問題や出会いを避けて、怯えて、めんどくさがると、苦手な人には永遠に苦しまされるという地獄からは抜け出せません。この切磋琢磨が唯一死後にもっていける宝であり、鍛えた心の正しさ、強さ、柔軟さ、知恵、愛、つまり境涯こそが最上の幸福であると実体験からの解答なのでしょう。

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功徳の本質と罰の本質

功徳とは六根清浄です。六根清浄されていく生命の変化の過程において、すぐに、目に見える形で現れる功徳が顕益、徐々に、そして目に見えない形で受ける功徳を冥益、といいます。

つまり功徳の本質とは、生命の前進です。

 

それでは罰とはと言いますと、六根清浄の逆を行くことです。生命を汚していく変化の過程において、目に見えて、あるいは目に見えずに発生してくるものを罰とも宿業ともいうのです。

罰の本質は、生命の後退です。

 

役職も、利己主義から嫌で断る、弱さから怖くて断る、面倒から怠慢で断る、これが主体では、生命の後退です。
人は強くならねば幸福になれない生き物です。弱いままでは六根清浄の逆を行くのです。

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全体主義と利己主義と桜梅桃李の本質

以下は2000年当時の池田先生指導です。

こんなに情報は豊かに見えるが、日本にいると「世界の現実が見えなくなる」傾向がある。

今もインドネシアでは、東部の島で、死者三千人を超す宗教対立が起こっている。避難している人は四十万人にも、のぼっている。

国際的な援助を求める声も高まっている。しかし、日本では、あまり伝えられていない

昔も日本人の多くは、朝鮮半島の人たちが、日本の圧制下で、どれほどひどい目にあっているか、わかっていなかった。「知らされていなかった」とも言えるし、「知ろうとしなかった」とも言える

 

「日本のことしか考えない」じつは、そこに「戦争の根っこ」があるのです。

″日本だけ″ なんて世界はない。「日本があって、世界がある」のではない。「世界があって、日本がある」。日本が大事なように、世界も、もっともっと大事です。

「日本だけよければ」「日本人だけよければ」という利己主義は、捨てなければならない。

それが二十一世紀です。世界全体を平和にするために、働いて、働いて、尽くして、尽くしぬいて、そうしてこそ、初めて日本が、日本人が、世界から感謝される。尊敬される。そのとき、初めて日本が本当に「平和」になるのです。「平和の心」が、美しく光る国になるのです。

全体主義も大事であり、個人主義も大事であり、中道です。

しかしどちらも尊重するとは一体どういうことでしょうか?

戸田先生のいう地球民族主義の本質

人体からの視点で考えます。

ヒトは37兆個とも60兆個ともいわれる細胞でできています。

それぞれがそれぞれの役割と使命を果たすことによって人体は生を全うします。

とあるひとつの細胞がその使命を忘れ、利己主義に徹し、細胞ひとりだけが生きることに固執した場合、人体はどうなるでしょうか?

 

民族・国家からの視点で考えます。

日本国には1憶人程度の人口があります。

それぞれがそれぞれの使命を果たすことによって日本民族や日本国は存続します。

皆が節税といって働かなくなり、非課税世帯や生活保護になった場合、皆がこの国に絶望して家族を連れ海外移住した場合、日本国はどうなるでしょうか?

 

地球生命からの視点で考えます。

地球には70憶人程度の人口があります。地球には80%は未だ未知の生物が存在します。

それぞれがそれぞれの使命を果たすことによって地球という一個の生命体は生きています。

各国が、各民族が、殺しあうことは人体でいうアレルギー反応を指すでしょうか?それともガンなのでしょうか?

 

地球民族主義の本質とは、全体主義なのです。

 

最終的には全体主義が大事なんだ

池田先生は、最終的には全体主義が大事なんだ、と指導しています。

政治体制を提言しているわけではありません。

 

仏意仏勅ぶついぶっちょくとは、知恵をもって宇宙全体を見た上で、その本質から地球生命の意思、仏の意思をくみ取ることなのではないでしょうか?

全体主義の意思をくみ取った上で、自己の才能・環境・境涯に即した利己主義を全うしきることが、使命であり桜梅桃李の本質なのではないでしょうか?

 

あなたにきたその役職の話は、全体主義と個人の使命と桜梅桃李をどれくらい真剣に向き合って出した結論なのでしょうか?

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業と罰と難の本質

宿業はつまり悪業です。罰もつまりは悪業です。

過去世に積んできたものが悪業として顕現するのが宿業。

現世に侵した罪が悪業として顕現するのが罰。

タイムラグに差があるだけで、本質は同じものです。

 

よくご本尊様を不敬に扱いどうなったこうなったという記事がネットに反乱していますが、何も罰がなかった、と言っているのは、現時点での “点” の話でしかありません。

罰とは六根清浄の逆の積み重ねなので、愚痴の命や、逃げの命、怒りや憎しみの命で退転し、ご本尊様を不敬に扱うわけですから、仮にすぐに罰が出なくとも、最後には必ず出てくるのが仏法です。

 

難とは主観

過去世から現在に至るまでの悪業が現出したとき、どのように捉えるでしょう?

苦しい、辛い、は勿論ですが、過去の業だから報いを受けなければならない、とか、これがあのときのなのか、とか、或いは逆に、この現象は使命、とか、この苦難は広宣流布をしているから発生した宿命転換の為のかてなのだ、など。

 

本質は悪業の現出であり、中身は同じものなのに、真逆の印象を与えます。

例えば職場で折伏し、迫害されたとします。それは広宣流布による苦難です。

凡夫にはその中身がよくわかりません。例えばその真実が過去世の悪業の報いであったり、今世に作った悪業による罰だったとします。

しかし当人は主観として苦難をポジティブに(使命や宿命転換である)捉え、乗り越え実証を示すことに専念しています。

 

真実は罰なのに、主観は苦難に立ち向かう命です。

このように、業と罰と難はそれぞれ実体として近しい性質のあるものです。

 

なぜ本部相談員の方が、罰論はその先がないから好きじゃない、と言ったのか、結論それは、もう既にある宿業をネガティブに捉えても苦しいだけだからです。自身が請け負った使命と捉え、その苦難を乗り越えるドラマを演じるというポジティブな思想を持ってもらいたいが故に、そのように筆者に指導してくれたのだと感謝しています。

逆に牧口先生が罰論をかざすのは、自身の謗法と真正面から向き合わせるためです。本気の懺悔滅罪ざんげめつざい謗法罪障消滅ほうぼうざいしょうしょうめつ決意させる為にそのように指導していたのです。

 

この記事を読み進めてこられたあなたは、役職を断ると罰があるのか?に関してはもうご理解頂けたことでしょう。

幹部が我見を孕んで打診した役職なのか、或いは仏意仏勅の打診であるのか、自身の謗法に従えば悪業となります。

仏意仏勅の意思であるのかどうかは、真剣に唱題をし向き合えば、おのずと組織全体が見え、解答も出てくることでしょう。

 

宇宙生命や地球生命にとってのガンやHIVウイルスとはならないことを心から願っています。

 

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謗法(ほうぼう)

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謗法の意味、以下引用。

誹謗正法[ひぼうしょうほう]の略。正法、すなわち釈尊の教えの真意を説いた法華経を信じず、かえって反発し、悪口を言うこと。

これには、正法を護持し広める人を誹謗する、謗人も含まれる。護法に対する語。

日蓮大聖人は、文字通り正法を謗ることを謗法とするだけでなく、たとえ法華経を信じていても、法華経を爾前経より劣る、あるいは同等であると位置づけて受容することも、釈尊が法華経をあらゆる経に対して第一とした教判に背くので謗法とされている。

そして、諸宗が犯しているこの謗法こそが、万人成仏という仏の根本の願いに背き人々を不幸に陥れるものであるので、仏法上、最も重い罪であると人々や社会に対して明示し、その誤りを呵責された。

 

教学用語検索,SOKAnet,ttps://k-dic.sokanet.jp/謗法(ほうぼう)/,(引用 2019-1-27)