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【なぜ成長しなければならないのか】なぜ社会復帰(就職・生活保護脱却)しなければならないのか?

自分の考えと違う人とコミュニケーションを取ることは往々にしてストレスになります。

しかし人間はまったく違う思想の人間と関わることによって、大きく成長できます。

成長し境涯を広げれば広げるほどに、どんな相手でも許していける自分が育っていきます。

結局のところ、相手の考えを認めてあげることや、相手が感情的になってしまうこと、そして相手の価値観を元に自尊心を侵害された自分自身の存在そのものさえ許せる自分へと成長していかないと、最後は自分も相手も苦しいままです。

 

ではなぜ成長しないと自分も相手も苦しいままなのでしょうか?これを掘り下げる前に余裕と必死、この性質に触れていきたいと思います。

余裕とは?

色々ありますよね。精神的余裕、身体的余裕、経済的余裕、時間的余裕…etc.

筆者が人生で求めているものは、あらゆるベクトルにおいての余裕です。

精神は他人の為にも差し向けることができ、健康な身体をベースに100%の能力を発揮できる土壌があり、必要なものは全て揃う経済力をもち、時間的束縛のない人生。

こういった様々な豊かさを求めて生きています。つまり余裕とは豊かさと殆ど同義なのです。

 

余裕じゃないからできないのか?

『最近太ってきて、なかなか筋トレができない』こういった悩みを相談するのですが、

同僚、友人、などに返答されたことのひとつは、

余裕がないからなのでは?と言われます。

本当に余裕がないからできないのでしょうか?

 

余裕がない人の方が、成功するというデータがあります。

というよりも、成功している人は大概がスケジュールいっぱいの生活をしてますよね。

 

筋トレできない理由は、優先順位が低いだけです。

 

現在筆者は、主に唱題、仕事、ブログ執筆、に必死であり、夢中になっています。

時間が足りません余裕のない状態です。

では熱中している状態の中身とはなんなのでしょうか?

余裕のある人の本質とは、優先順位を自在にコントロールできる人

余裕のない状態というのは、物事に熱中し必死であり、それが優先順位最上位となって、一点集中している状態を指します。

時間的余裕のなさはまさに、消化しなければならない作業を多く抱え、それらが最優先となって集中している状態であり、時間が足りません。

経済的余裕のなさは、更に働くか支出を削るか労働効率をあげる為にスキルを磨くかなど、お金の工面への思考と行動が最優先となって集中している状態であり、お金と時間が足りません。

病気や体調不良など、或いは精神的に追い詰められている時なども、それを改善することが最優先なので、余裕のない状態と言えます。

 

先ほどの筋トレやダイエットができないという筆者の悩み。

仮に上記の余裕のない状態であっても、筋トレの優先順位を高めてあげれば、できてしまいます。

ブログを書かずにランニングをする。風邪ぎみでも腹筋くらいはする。…etc.

 

ここまで考えて判ること、それは、優先順位を自在にコントロールできる人が、余裕のある人であり、人生を自由にマネジメントできる人、

ということです。

 

真の余裕とは、訓練された人格から発揮されるものであり、

一見スケジュールいっぱいの余裕のなさそうな人でも、人生を自由自在にコントロールできる人が真の余裕と自由を謳歌でき、

明らかに暇そうで余裕そうな人でも、人生を自由自在に作りあげることができない人は、本当の意味で余裕がなく、不自由であるということなのです。

優先順位をフリーにする為には

筆者は時間の制約なく友人と遊べる境涯になりたいですし、お金の制約なくケチケチせずに友人と遊びにいける境涯になりたい。誘われたら断らずに散歩に繰り出せる体力に制約のない境涯になりたいし、いつだってイライラせず人に優しい心を意識できる境涯もほしいです。

こういったことは、各カテゴリの豊かさを手に入れ、優先順位を自在にコントロールできれば、実現可能です。

しかし問題なのは変えられない優先順位群です。

 

変えられない優先順位群というのは、つまり切り捨てられない状態、後回しにできない状態のものを指します。

仕事を切り捨てられない状態の人、家事育児が後回しにできない状態の人、絶対に払わなければならない固定費がある人、余裕はありません。

 

優先順位をフリーにする為には労働時間を減らすとか、家政婦を雇うとか、労働生産性の向上とか、根本的な部分の改善がなされなければ不可能です。

余裕の中に成長は生まれるのか?

『人生楽しまなきゃ意味がない』の短絡的解釈

多くの人は、余裕の環境下に置かれると、そのポテンシャルを大いに腐らせてしまう傾向にあります。

『人生たのしまなきゃ意味がない』と、よく聞きますね。

ごもっともです。経典にも衆生所有楽しゅじょうしょゆうらくとあり、つまりは楽しむ為に生まれてきた、と説かれているのです。

しかしこれを短絡的、或いは一時の快楽的に捉える歪んだ認知が横行しています。

余裕の環境下にあって、余暇を使って大いに遊べ、という意味ではないのです。

 

衆生所有楽しゅじょうしょゆうらくの境涯

仕事にいくことも楽しい、女房に怒られるのも楽しい、旦那に文句言われるのも楽しくてしょうがない。

人間革命6巻『離陸』引用

こういった境涯を開くことが、衆生所有楽と言っているのです。

つまりはどの環境にいっても、自分は楽しく、人も楽しくさせる、そんな場に変えてしまう自分を開いていく

これが本当の意味の衆生所有楽(人生楽しまきゃ意味がない)ということなのです。

 

余裕の環境(楽な環境に逃げること)が人生を楽しむという意味ではない

自分を認めず理解しない人から逃げて、緊張感のないプレッシャーのない環境に身を置き、誰にも怒られない、楽な方へ楽な方へと流れていくことが、人生たのしまなきゃ意味がない、ということではないのです。

 

生活保護というものは、その手段でしか生きていけない人に生存の権利を与える為の社会のセーフティネットです。

ですが、そこにたどり着き安住し、余裕が生まれ、最終的には楽しまなきゃ意味がないよね、苦しんでまで働く意味がわからない、と言ってしまうことは大いに思想の誤りであり、成長を放棄している時点で、最後には誰でも受け入れてあげる菩薩のような境涯の人か、あるいは同族の低次元のカテゴリの人間しか関わり合えない人生を歩むことになってしまうことでしょう。

 

同族低次元の人たち以外の多くの人々差別されるということです。

 

時間が経てば経つほどに、一般的に経験するであろう社会的イベント(結婚等)からも遠くなってしまいます。

なぜなら、社会で揉まれる人間は、否応いやおうなしに少しづつでも成長しながら人生を歩んでいるので、その分の差が刻一刻と開いてしまうからです。

『苦しんで』ではなく『乗り越えて』の発想

経済的に困っていないのに、なんで『苦しんで』まで働かなきゃならないのか。

という思想ではなく、

経済的に困っていないのに、なんで『乗り越えて』まで働かなきゃならないのか。

という思想が重要です。

 

自分とは違う思想の人間を許す心を実践の中で育てる為です。

或いは、自尊心を侵害された自分自身の存在を許す心を育てる為です。

 

そうやって乗り越えて、成長を楽しんで、その先にあるのは、どこにいても苦しみから解放された大境涯です。

もっと言えば、どの時代、どの場所に生まれても柔軟に許せる大境涯なのです。

 

つまり、

経済的に困っていなくても『乗り越えて』働いていけば、どこにいても苦しみから解放された大境涯の自分と出会えるのです。

さらには、

経済的に困っていなくても『楽しんで』働くことができる柔軟な思想ポジティブな思想を会得すれば、苦しくないどころか、毎日が楽しくてしょうがない大境涯の自分と出会えるのです。

 

なぜ成長が自他共の為になるのか?

冒頭に触れた、この部分ですが、そもそも成長といっても色々な項目の成長があります。

相手を理解する能力、相手を受け入れてあげる能力、相手を信じて(こんな人でも変われるとか、相手の善性など)あげる能力、など自分の精神的境涯の側面の成長だったり

優先順位をフリーにする為の、労働時間の減少、家政婦の雇用、労働生産性の向上、など根本的な土台の改善、すなわち自分の環境的境涯の側面の成長だったり

様々な成長があります。

 

例えば、仕事ができない自分がいて、同僚はそれを許さない人間だったとします。

仕事ができない自分、自尊心を侵害する相手を許せない自分、自尊心を侵害される自分の存在自体を許せない自分、

こんな自分がそれぞれを乗り越えていけば、

仕事ができる自分となり、相手を許せる自分となり、否定される自分自身を受け入れられる自分となります。

この成長はつまり、同僚にとっては、全体の仕事の負担が軽くなる、役に立つ自分であり、嫌悪感を示してこない不快にさせてこない自分であり、素直に仕事をしてくれる自分、ということで、同僚にとっても気分よく働けるパートナーとなれるわけです。

 

環境的境涯の成長でみても、労働時間を減らしながら、収入を上げて、家事代行などサービスを賢く使えば、介入不可だった優先順位を自在にコントロールできる境涯に出会えます。

 

身体に無理をかけすぎず、友人に自由にご飯をおごれて、家族サービスの十分な時間が確保できます。

 

成長しないと、自分も周囲も苦しいままです。

成長すればするほど、真の余裕、自由自在な人生のマネジメントができます。

 

結局成長のその先にあるものは、人の為であり、自分の為なのです。

 

経済的に困っていないのに、なんで『苦しんで』まで働かなきゃならないの?という人の本質は『逃げであり、かつ頑固』です。

 

逃げも頑固も悪くはありませんが、

悪くはないけど、不幸です。断言します。

お汁粉のバランス

余裕と必死はバランスが重要です。

今、筆者は余裕がありません。必死であり、熱中しています。それはそれで楽しいですが、賢くはありません。

心が豊かで余裕のあることが第一。健康であることが第二。それ以外のあらゆる優先順位が第三です。

 

このまま太ること、不健康になることは、後々に体を壊し、今熱中していることさえも、できなくなっていく自分を生み出すことになります。

心と身体を豊かにして、無事故を勝ち取ることが最優先です。その上で、残った時間で熱中していくのがマストでしょう。もっと言いますと、残った時間枠でも優先順位は随時変更できる柔軟な思考をもって、余裕を確立していくことです。

 

余裕は砂糖です。

必死は塩です。

 

現代人は、塩の方が多すぎます。しょっぱいお汁粉なんて食べられたものではありません。

逆に甘いだけのお汁粉もただの『逃げ』であり成長もなく一生何かに苦しめられる自分です。

どちらも大切で、バランスが大事です。

 

筆者に限って言えば、余裕を作ろう(ブログや仕事をやめれば)と思えばいくらでも余裕は作れます。

しかし余裕を選択してしまえば、そこに(経済的)成長はなく、より余裕のある人生を10年後に勝ち取れなくなってしまいます。

 

なぜ、社会で色んな人と関わらなければならないのか?社会復帰しなければならないのか?社会復帰を目指し続けることが正しい思想と言えるのか?真正面から向き合って考えぬいて頂ければ、幸いです。