Oops! It appears that you have disabled your Javascript. In order for you to see this page as it is meant to appear, we ask that you please re-enable your Javascript!

〔余裕と必死&熱中の間〕生活ができるのに、それ以上働く意味があるの?

自分の考えと違う人とコミュニケーションを取ることはストレスですよね?

しかし人間はまったく違う思想の人間と関わることによって、大きく成長できます。

成長し境涯を広げれば広げるほどに、どんな相手でも対処できる自分が育っていきます。

結局のところ、相手の考えを認めてあげることや、相手が感情的になってしまうことを受け入れてあげる自分へと成長していかないと、最終的には自分も相手も苦しいままです。

相手に成長してもらうのは勿論のことですが、

自分を棚上げにしたまま、相手にだけ自分を理解してもらおうなんてのは虫のいい話だと思いませんか?

そもそもなんで成長しなければならないのでしょうか?

答えはシンプルで、人の為であり自分の為だから、です。

ではなぜ成長が自他共の為になるのか?これを掘り下げる前に余裕と必死、この性質に触れていきたいと思います。

余裕とは?

色々ありますよね。精神的余裕、身体的余裕、経済的余裕、時間的余裕…etc.

私が人生で求めているものは、あらゆるベクトルにおいての余裕です。

心は自他共の為に差し向けることができ、体は健康で80%の能力発揮だけで物事を処理でき、世間一般の経済力をもち、時間的束縛のない人生。

こういったものを求めて生きています。

最近太ってきて、なかなか筋トレができない。こういった悩みを相談するのですが、

同僚、友人、などに返答されたことのひとつは、

余裕がないからなのでは?と言われます。

余裕がないからできないのか?違いまよね。

余裕がない人の方が、成功するというデータがあります。

というよりも、成功している人は大概が詰めっ詰めの生活してますよね。

筋トレできないのは、優先順位が低いだけです。

今私は、主に唱題、仕事、ブログ執筆、に必死であり、夢中になっています。

時間が足りません。余裕のない状態です。

では熱中している状態の中身とはなんなのでしょうか?

必死と熱中

余裕のない状態には物事に熱中、つまり優先順位が最上位につき、一点集中してる状態が真っ先におもいつきます。

逆に病気や体調不良などで必死の状態のときも、余裕のない状態と言えますね。

先ほどの筋トレやダイエットができないという私の悩み。

仮に上記の余裕のない状態であっても、優先順位を高めてあげれば、できますね。

ブログを書かずにランニングをする。風邪ぎみでも腹筋くらいはする。…etc.

ここまでくればわかってくること、それは、優先順位をコントロールできる人が、余裕のある人なのではないか?

ということです。

私は時間の制約なく友達と遊べる境涯になりたいですし、お金の制約なく(といってもケチケチせずにという程度の次元ですが)同様友達と遊べる境涯になりたい。誘われたら断らずに散歩に繰り出せる体力に余裕のある境涯になりたいし、いつだってイライラせず人に優しい心を意識できる余裕もほしい。

こういったことは、優先順位を変更すれば、実現できます。

しかし問題なのは変えられない優先順位群ですよね。

変えられない優先順位群というのは、つまり必死な状態のものを指します。

仕事で必死な状態になる人、家事育児で必死な状態になる人、絶対に払わなければならない固定費で必死な人、余裕はありません。

優先順位をフリーにする為には、仕事を減らすとか、家政婦を雇うとか、収益を増やすとか、根本的な部分の改善がなされなければ不可能です。

余裕の中に成長は生まれるか?

私は余裕(=成長に乏しい)必死及び夢中(=成長している)という理論をよく話しています。

勿論例外もいるでしょう。

余裕な人が100人いて、それでも1人、2人は成長する人もいることでしょう。

ただ、大概の人は余裕の中ではそのポテンシャルを大いに腐らせてしまいます。

人生たのしまなきゃ意味がない。よく聞きますね。

ごもっともです。経典にも衆生所有楽しゅじょうしょゆうらくとあり、つまりは楽しむ為に生まれてきた、と。

しかしこの衆生所有楽はこれだけでは終わりません。

仕事にいくことも楽しい、女房に怒られるのも楽しい、旦那に文句言われるのも楽しくてしょうがない。

こういった境涯を開くことが、衆生所有楽、と言っています。
※人間革命6巻『離陸』参照

つまりはどの環境にいっても、自分は楽しく、人も楽しくさせる、そんな場に変えてしまう自分を開いていく。

これが本当の意味の人生楽しまきゃ意味がない。ということなのではないか?

ただ、自分を認めず理解しない人から逃げて、緊張感のないプレッシャーのない環境に身を置き、誰にも怒られない、楽な方へ楽な方へと流れていくことが、人生たのしまなきゃ意味がない、ということでは、ないのではないでしょうか?

生活保護というものは、最終的にいきつく社会のセーフティネットです。

しかしそこにたどり着き安住し、余裕が生まれ、最終的には楽しまなきゃ意味がないよね、苦しんでまで働く意味がわからない。と言ってしまうことは大いに勘違いであり、成長を放棄している時点で、最終的には一部の菩薩のような人、あるいは同族のカテゴリの人間としか分かり合えない人生を歩むことになるのではないでしょうか?

大概の人に相手にされなくなってきてしまうということです。

時間が経てば経つほどに、結婚や、子育てなど、社会的に当たり前の事柄から遠のいていくのは明白でしょう。

なぜならば、社会で揉まれる人間は、いやおうなしに成長しながら人生を歩んでいるからです。

『苦しんで』ではなく『乗り越えて』の発想

生活がすでにできているのに、なんで『苦しんで』まで働かなきゃならないのか。

ではなくて

生活がすでにできているのに、なんで『乗り越えて』まで働かなきゃならないのか。

ということです。

自分とは違う思想の人間を受け入れる心を実践の中で育てる為です。

そうやって乗り越えて、成長を楽しんで、いって先にあるのは、どこにあっても対応できる大境涯です。

もっと言えば、どの時代、どの場所に生まれても柔軟に許せる境涯なのです。

 

なぜ成長が自他共の為になるのか?

冒頭に触れた、この部分ですが、そもそも成長といっても色々な項目の成長がありますよね。

相手を理解する能力、相手を受け入れてあげる能力、相手を信じて(こんな人でも変われるとか、相手の善性など)あげる能力、など自分の精神的境涯の側面だったり

余裕と必死の項目で触れた、優先順位をフリーにする為の、仕事の減量、家政婦の雇用、収入増加、など根本的な土台の改善、すなわち自分の環境的境涯の側面だったり

様々な成長があります。

例えば、仕事ができない自分であって、相手の上司はそれを認めない許さない人間だったとします。

それでも自分がそういう上司であることを理解して、怒る上司の人間性を受け入れてあげて、そんな上司にも優しさはあるし変わっていけるはずだと自分自身が信じれるよう成長した上で、こちらも辞めずに粘り強く仕事ができるようにしがみついて成長していけば、絶対に認めてくれる、許してくれる瞬間が訪れるはずです。

これは会社的にもコスパが向上し、上司的にも全体の仕事の負担が軽くなり、厳しくしつつもその部下から嫌われることもなく、自分的にも精神も技能も向上している。

winwin ですよね。

環境的側面でみても、例えば副業でビジネスを確立して月収50万を稼げる境涯に至れば、本業のサラリーマンを辞めて時間を自由に使えるフリーランスになったり、ベビーシッターを雇ったり、いじれなかった優先順位を自在にコントロールできる境涯が確立できますよね。

家族サービスの時間が作れて、友人にご飯をおごれる。自分の自由はいわずもがなです。

winwin ですね。

結局成長のその先にあるものは、人の為であり、自分の為なのです。

生活ができるのに、それ以上働く意味があるの?という人の本質は、エゴです。

最終的にはみんなの税金で助けられていることさえ、忘れてしまいます。

エゴの何が悪いの?と聞かれます。

悪くはないけど、不幸です。断言します。

余裕と必死のお汁粉

余裕と必死はバランスが大事です。

今、私は余裕がありません。必死であり、熱中しています。それはそれで楽しいですが、賢くはありません。

心が豊かで余裕のあることが第一。健康であることが第二。それ以外のあらゆる優先順位が第三です。

このまま太ること、不健康になることは、後々に体を壊し、今熱中していることさえも、できなくなっていく自分を生み出すことになります。

心と体。安全第一。ここを最優先にして、残った時間で熱中するのがベター。もっというと、残った時間枠でも優先順位は随時変更できる柔軟な思考をもってして、余裕を確立すること。

余裕は砂糖です。

必死は塩です。

お汁粉に、砂糖と塩がなければならないように、人生も、塩程度の苦労がなければ、真の幸せはありません。

しかし現代人は、塩の方が多すぎます。私も塩分過多の人生です。しょっぱい汁粉なんて食べられたものではありません。

逆に甘いだけのお汁粉もただの怠慢であり成長もなく一生変わらない自分です。

どちらも必要。バランスが大事です。

 

私に限って言えば、今余裕を取ろうと思えばいくらでも余裕は取れます。(ブログやネットビジネスをやめる)

しかし余裕を選択してしまえば、そこに(経済的)成長はなく、より余裕のある人生を10年後に勝ち取れなくなってしまう。

うさぎとかめ、かんくちょう、の童話と同じことです。必死でやらなければならない。

 

やらなければならないけれど、余裕を得る為に余裕を失ってしまっては本末転倒です。

余裕を確保しつつ、堅実に成長していく、二刀流。

しっかり遊んで、しっかりストレスに立ち向かう。これが正解なのではないでしょうか?