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【境涯とは】宿命を使命と夢に変える信心の歓喜とは?

本記事では学会本部で“境涯によって見える世界はまるで違う”と指導され、宿命使命に据えて歓喜の境涯に変化していった体験を解説します。


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宿命を使命と夢に変える信心の歓喜と境涯とは?

多くの夢を掲げた過去

最初のは12歳。大工になって自分の家を作りたかった。

次のは15歳。イラクに行って難民を救いたいと思った。海外ボランティアや外交官になりたくて英語を勉強しました。

19歳。日本一の地区を作りたいと願い、学会活動に没頭。

26歳。看護師になろうと決心。

29歳。気付けば塾講師になっていて、個人塾をに掲げました。

でも、どれも続かない。執念が出ないのです。

“これが自分の使命だ”と信じきれない。憧れだけが先行して適正や相性の噛み合わないものを無理やりに掲げても、ただ自分が辛いだけでした。

 

いつしか使命や夢を考えることが面倒になった

どんな仕事がしたいのかを考えても、その先で新たに掲げる目標に執着しぬく自信がない。やりぬく意味を見いだせない。

これは自分以外の誰でもできることなんじゃないだろうか?

そうやってただ日々をこなすだけの毎日になっていました。

 

学会本部で指導を受ける

そのときに“境涯によって見える世界はまるで違う”と言われたことで動執生疑を起こします。

境涯ってなんだ?

題目をひたすらあげました。境涯とはなんなのか?

あげては考え、考えてはあげて。境涯で検索していろんな指導やブログなんかも読んでみました。

 

そうしたらある日の朝、唱題中にこんなフレーズが浮かんだのです。

『人と人とのその差異さいは、宿命と使命と夢に直結している』

これだ!と思いました。

 

っていうと誰もがプロ野球選手とかピアニストとかノーベル賞とか、とてつもない何かを思い浮かべませんか?

少なからず自分はそうであって、というと尊大ななにかだと思っていました。

それだけではないと知恵が沸き発想が転換された瞬間。

 

人の差異修羅界しゅらかいを基盤においてしまうと、コンプレックスは苦しみに、才能はおごりになってしまいます。

うまれながらのその差異は、あるいは人生のその時点での形成されたその差異は、あらがいようのない宿命です。

 

自分はひどいニキビに13歳から悩まされていました。

見た目が醜いだけではない。なにより痒いし、洗顔の度に痛い。

このことを遺伝子の問題と諦めて見て見ぬふりをして、別の何か尊大なものをに据えて生きてきました。

身近なものをおざなりにして、遠くのものに手を伸ばす。

すぐそばにあるやるべきことから逃げてごまかして、尊大なものに挑戦する振りをしていたほうが自分が楽だっただけ。

逃げ道として掲げただけの夢なので、好きなわけでもなく、継続もできず、執着も責任もない。

まず向き合うべきは、自分にとって最も近い、抗えない差異、ニキビというごう

 

 

結局のところ、このニキビが宿命であり、使命であり、だったのです。

抗えない宿命。抗えないからこその向き合うべき使命でした。掲げた色んな仕事のはやめてしまえばそれで終わりの選択できる範疇はんちゅうの使命。

しかし抗えないたぐいの差異は、抗えないからこその絶対的に課せられた使命だったのです。

 

このを掲げることによってすべての世界観が変わりました。

目標(夢)に向かって生きることはとてつもない充実感なのです。

 

ニキビを治すことが夢と言ったところで人々は理解に苦しむかもしれません。この夢に向かい生きる充実感を語っても更に理解されないでしょう。

しかし、明らかに自分の中の世界観は変化を遂げています。

 

このニキビを治していくという一見ちっぽけな、自分だけのためのように思えることが、実は治癒していく様を見せる使命であり、治していく挑戦を示す使命であり、つまり全て、人のためと繋がっていたのです。

 

人の差異は菩薩界ぼさつかい(人のため)や仏界ぶっかい(使命感)を基盤におくことで、とてつもない歓喜となりました!

鏡を見ても、このニキビたちが全て自分の夢なんだ!使命なんだ!

人の為であり、必ず綺麗になれるんだ!

そう確信を持てるように変わりました。

 

なにひとつ現実は変わっていません。なのにこれほどにも心は違う。

境涯とは、幸福に直結している。そう、確信しています。

 

だからこそ、題目をあげてあげて考えぬいてほしいです。

『人と人とのその差異は、宿命と使命と夢に直結している』

あなたのもつその差異を、自分自身の使命であると深く確信するために、考えぬいてほしいです。

 

使命の自覚と掲げた夢が、生きる意味と生きる情熱となって歓喜に変わりました。

等身大の自分のままで、宿命が歓喜に変わりました。

 

境涯が変わるその幸福を本当に味わってほしいと、心から願います。


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動執生疑(どうしゅうしょうぎ)

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動執生疑の意味、以下引用。

浅い教えに執着している心を動揺させて、疑いの心を生じさせること。仏が衆生を真実の教えに導くための化導法の一つ。法華経では、序品第1、方便品第2、従地涌出品第15でこの化導法が用いられている。

教学用語検索,SOKAnet,https://k-dic.sokanet.jp/動執生疑(どうしゅうしょうぎ)/,(引用 2019-1-27)